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白髭神社
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■ 中入の後、夜が更けてゆく。帝から派遣された勅使は奇特を待っている。
時はあたかも「天燈龍燈(てんとうりゅうとう)の時節なれば」と。
三段ノ舞を舞いながら待機していると、白髭の神が社壇から出現してきた。
神は、容貌魁偉な鼻瘤悪尉(はなこぶあくじょう)の面をつけている。
「天津み空の雲井かかやき渡り、湖水の面鳴動するは、天燈龍燈の再現かや」
「天燈龍燈」とは、天女が天降って捧げる燈と、龍神が湖から現れて捧げる燈のことを指している。
舞台ではイロエ出端で天女が、早笛で龍神があらわれる。燈を神前に供える。
今は深夜なのだけれども、湖上に輝く天燈龍燈の光のため「日夜の勝劣、見えざりけり」
やがて明け方になり、天女は天界への道を昇ってゆく。龍神は下界へと。
「龍神は湖水の、上に翔けって、波を返し、雲を穿ちて、天地にわかれて飛び去りゆけば」
「明行空も、白髭の、明けゆく空も、白髭の神風、収まる御代とぞ、成りにける」
(シテ)
■ つまり簡単に言えば、湖畔の風景を称えている翁が実は白鬚の神であって、「天燈龍燈」が来現することでカタルシスを迎えるという、神徳賛美の能である。この型で一般に知られているものには、弓八幡、高砂、龍田などがあるが、中でもこの「白鬚」は、松尾、嵐山どなど同じく、寺社の縁起を語る種類の能だといえる。
残念ながら私は、この白鬚を観たことがない。
天女のつける面が小面、龍神の面が、黒髭ということであるから、舞の対比は、スペクタクルの要素を多分に含んでいるものだろうという気はする。
湖上が白く光るのであるから、その演出は相当に派手でもあろう。
白鬚の神は鼻瘤悪尉(はなこぶあくじょう)の面。
この面は老体の、スケールの大きな、とくに異国的な楽を舞う、異相の神がつけるものだとされている。舞楽面の系譜に連なり、能が固定する遥か以前より存在した面であるともいう(前掲「能のおもて」190頁)。
鼻にこぶがあり、目が金色に光り、額に数本の血管が浮かんだその仮面は、権威と力、そして超自然的な存在を象徴している。
ここで思うことは、白鬚の神とはある種「異国の神」を想定しているではないかということである。
この場合の異国とは、半島および大陸、つまり古代史における渡来人の存在を示唆する。
2003_01_28
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北澤 浩一:写真家/デザイナ/コピーライター
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