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昔、こういう恋文を書いたことがある。
■ 女性を美化できる歳ではなくなった。女性は女性として見ることができる。
惚れているとはいえ、今そこにいるのは、随分素直な処もあるが、結局は我の硬い、未成熟のままに年をとったひとりの若い女性である。この先どう変わるのか分からないが、今の処、それ以上でもなければ、以下でもないと思っている。
背後にある苦い思いや、醒めた視線に気付くことなく、男を紋切型で捉え、また紋切を返してくる。それはこの先も続くものとおもわれた。
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坂道はゆるやかに上って、小学校の正門に突当たると、その堀に沿って左右に分れる。あるいは松崎が二度と通ることのないかもしれない道である。心に悩みを抱いて、この坂を上下した日々の思い出が群がり起こった。
「吉野へ行ったってことは、行かなかったよりいいわ」
と、葉子は言ったことがある。自分を忘れることはあっても、吉野は忘れないだろう。
二人で吉野に籠もることはできなかったし、桜の下で死ぬ風流を、持ち合わせてはいなかった。花の下で見上げると、空の青が透いて見えるような薄い脆い花弁である。
日は高く、風は暖かく、地上に花の影が重なって、揺れていた。
もし葉子が徒花なら、花そのものでないまでも、花影を踏めば満足だと、松崎はその空虚な坂道をながめながら考えた。
(引用:大岡昇平「花影」新潮社)
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この手紙が届く頃には、桜はもうあらかた散ってしまっていて、貧相な汚れた花弁しか残ってはいない。
午後から薄い雲が出て、足元が冷たくなった。
西の空に、次第に色を無くしてゆく雲を見送るようなさびしさである。
○緑坂:93年3月
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