「緑色の坂の道」vol.2910

 
     みんな歌いながら通り過ぎる 2.
 
 
 
■ いつもいる呼び込みはいない。
 角に立つ、花売りのおばさんや、お兄さんは健在である。
 この季節、銀座は周辺からこられた市民の方々で溢れる。
 いわゆる、日本の近代と、そこから生成した中産階級と呼ばれる方々が折にふれそぞろ歩きをする場所とも言えるのだろうか。
 
 
 
■ 神戸で生まれたというバーに連れてゆかれた。
 銀座駐車場の界隈で、地下に降りてゆく。
 擦り切れた絨毯の階段を降りると、典型的なドアがあり、その中はスタンドである。
 いくつかスツールがあるのだが、背広と上着姿の男たちで一杯だった。
 自腹で酒が飲めるという場所は、勤め人や自営の立場の人間にとって貴重だと私は思っている。経費で飲む酒とは味が違うのだ。
 いやいや、時期が悪かったですね。
 と、言いながら先輩に従う。
 暫く、ロクデモないことを言いながら歩く。
 
 
 
■ この場合の先輩とは、学校や会社のことではない。
 折に触れお世話になって、いわゆる同じ釜の飯を喰い、割に合わないことをやったという、占領下フランス、レジスタンスの同窓会みたいなものだ。
 あれから何年も経ち、研究者だった方が助教授になり、私が写真家やデザイナと名乗っている。
 なんだよ、助教授になったのかよ、よかったなあ。まだ床で寝てるのか。
 彼の部屋は本に埋もれ、時々靴を履いたまま寝ていた。

「緑色の坂の道」vol.2909

 
     みんな歌いながら通り過ぎる。
 
 
 
■ 先達の書かれたものを読むと、かつてクリスマスなどというものはキャバレーの呼び込みとしてしか機能していなかったようで、その日は店で三角の帽子を配る。
 緑色と赤の、紙の奴である。
 高度成長期、男たちはトリス・バーに通い、ケーキを持って家路に急いだ。
 
 
 
■ さておき、ここ数日の銀座界隈はほぼ芋洗い状態であった。
 四丁目の交差点を、津波のように人が渡る。
 泳ぎながら待ち合わせの場所にたどり着くのであるが、途中白髪のご婦人に道を尋ねられ、その交差点まで送っていたら時間に遅れた。

「緑色の坂の道」vol.2908

 
     余滴。
 
 
 
■ とは何か、というと、終わってからたらたらっと零れてくるなにものかである。
 それ以前に零れるものは別の名で呼ぶ。
 さておき、私は二日酔いで一日チンボツしていた。
 銀座の路地裏と虎ノ門のホテル。
 それほど飲んだつもりもないのだが、夜まで残るようになったのだから、確かに若くはない。
 壊れかけたソファの上で、おっぱいと水、と、誰にともなく呟いていた。
 出てこない。

「緑色の坂の道」vol.2907

 
     銀色の鱗。
 
 
 
■ それから何年か経ち、私も大人になった。
 泣きはしないが、気配は分かるようになった。
 その彼女は幸せになったけれども、相手の気持ちは知らない。
 
 
 
■ 若かろうが、そうでもなかろうが、ある時にそういうことは起こる。
 体調と空白と、それから具体的な場所の問題だと思う。
 シーツに〈きらきら〉したものが残っている。
 時間が経つと、それは虹色に変わったりする。
 ややほとぼりの醒めた、接していた部分に、結晶のような細かな断片が残っている。
 薄い灯りの下で、銀色の鱗のように見える。
 コントラストが奇麗だとも言えるが、厳密には単なる生理現象なのだろう。
 そこから、愛が生まれることもあるけれど。
○昔坂93年

「緑色の坂の道」vol.2906

 
    吹く女。
 
 
 
■ どんな女か。
 と、言えば、口紅を二度重ねて塗る女である。勿論異なった色合いの奴を。
「どうして」
 と、聞くと、
「なんとなく」
 と、答える。
 そうだろうな。
 と、私は思い、奇麗な女というのは、何処かでそれを自覚しているのだなと続けた。
 
 
 
■ 深い処にいる途中、突然に熱いものが噴出する。丁度、温泉を掘り当てたような按配である。何処までも深くなり、耳の傍で高い声がする。
 
 
 
■ 「そうだったのか」
 と、煙草を吸っている。
「久し振り。でも、こんなものじゃないの。二度も三度も」
 こういう時、男は泣いてもいいんだろうか。
「妊娠したことがあるだろう」
 と、言いそうになってやめた。
「騙されやすいね」
「んん」
 シーツを挟んで目を閉じている。
○昔坂93年

「緑色の坂の道」vol.2905

 
    粋と野暮のあいだ。
 
 
 
■ 吉行さんの初期の対談集に「変わった種族研究」(角川文庫)というものがある。
 スマイリー小原、野坂昭如、岡田真澄、青島幸雄、畠山みどり、殿山奉司。
 さらっと目次の一頁から拾ってくるとこんな按配である。
 
 
 
■「明日は東京に出てゆくからは なにがなんでも勝たねばナラヌ」
 と、歌ったのは巫女スタイルで舞台に立った、当時女村田英雄と呼ばれた畠山みどりさんである。
 吉行さんは、絶世期の畠山さんと対談する。
 
「最後にひとつ聞きますが、歌謡曲の歌詞には、霧とか涙とか星とか恋とかが矢鱈に出てくるけれど、そういう歌詞を本気で歌う気になりますか」
「ええ、すうーっと歌詞の中に入ってゆけます。悲しい歌だと、何度うたっても泣けてきますね」
 と言うと、彼女はにっこりと笑って、私を見て言った。
「ああ、やっと見抜いてくれましたね」
(「変わった種族研究」吉行淳之介著:角川文庫:84頁)
 
 この後、吉行さんはA4サイズくらいの畠山さんの顔写真にサインをしたものを渡され、ありがたく頂戴する。この後の文章がいかにも吉行さんらしい、ある意味で優しい、それでいて何枚もの膜があるかのような、簡潔な名文なのだが割愛。
 場数を踏んでいないとこうした文章は書けない。
 
 
 
■ ところで何が言いたいかというと、場数のことではなかった。
 山口瞳さんは「男性自身」の中で、昨日上野駅に立って、さあこれから東京を征服してやるぞと身構えている若い男が鬱陶しいということを書いている。
 その後で、そういうもんでもないのだよ、まずは肩の力を抜けよ。とも続けていた。
 上野駅(ないしは東京駅)に降り立った彼は、世の中を睥睨し、鼻の穴を広げている。
 東海林さだおさんの漫画に出てくる彼らもまた、そういった按配である。
 東海林さんは真面目な顔をして、豚のまるかじりなどを語っておられる。
 ま、いいんですけれども、つまりITの世界もなんというか梶原一騎氏の描く分かりやすい立身出世みたいなところがあるのだな、という素朴な感想を私は抱いている。

「緑色の坂の道」vol.2904

 
      ロマンについて。
 
 
 
■ 何時だったか霞町の交差点の辺りで渋滞に入った。
 六本木トンネルが出来てから、この辺りは一キロばかり混む。
 そこで思い出したことがあった。
「麻雀放浪記」の角川文庫版の解説の最後に、どなたかが面白いことを書いている。
「技を極めることが成長に繋がるという、教養小説の一環ではある。ただ注意しなければならないのは、この小説は、技を極めることがそのまま滅亡への道に繋がっているという世界を描いたということである」(概要:文責北澤)
 
 
 
■ 緑坂の読者には説明は不要かも知れないが、「教養小説」とは、主人公が艱難辛苦に遭遇しながらそれを乗り越え、次第に人間的に成長してゆくという定型を踏むものである。
 古くは「次郎物語」「人生劇場」あるいは「青春の門」などがそうだろうか。
「宮本武蔵」なども典型的な教養小説の一環である。
 漫画の世界でも、「ナニワ金融伝」「金と銀」などが同一の文脈で語られるだろう。
 未熟だった者があれこれし、最後には成功を収めるというパターンだと考えれば大筋でブレは少ない。
 
 
 
■ 古くからネットの世界に棲んでいると、いわゆる「日記」と呼ばれているものの多くが、その文脈で語られていることに気がつく。
 儲けたこと。これから流行るもののこと。
 でもしくじって東京に負けたりしたこと。
 新しい技術はこれで、これを知らなければこれから生きてはゆけないこと。
 それを導入したのは自分で、胸を張って顔写真も出すこと。
 つまり、浮き沈みはあるにしても、結果として故郷に錦を飾ることを夢見る。
 あるいはそれまでがんばる、ということを記す場合が多い。
 現在進行形の物語なのだ。

「緑色の坂の道」vol.2903

 
     夜のアメ横。
 
 
 
■ 写真家の故・秋山庄太郎さんは若い頃、黒いシャツばかり着ていた。
 と、何処かで読んだ覚えがある。汚れが目立たないからだ。
 昭和30年代の初めまで、皆そのようだった。
 ここで思い出すのは、阿佐田哲也さんの「麻雀放浪記」である。
 この主人公、坊や哲も何時も黒シャツを着ていた。半年も風呂に入らない。
 前述、放浪記には上野界隈が出てくる。
 ノガミの健が根城にしている暴力バーがあった一帯である。
 
 
 
■ 何時だったかの暮れ、女を連れてアメ横界隈を歩いた。
 店のシャッターが閉まっている。
 ふと眺めると、魚屋のゴミ箱の前に男たちが群がり、さっきまでマグロだったものだろう骨をしゃぶっている。まだ肉が残っているのだ。
 黒い姿に、赤身の肉が目立った。
 それは唇についた血の色だったかも知れない。
 私はちらりと眺め、そっちを見るなと女に命じた。
 
 
 
■ 負けた者には何もやるな。というのが博打の世界の鉄則だという。
 博打に限らず、この社会にはそんな掟が生きていて、明白に口にしないだけだともいう。
 果たして、ベンチャー企業の経営者は博打打ちだったのだろうか。
 エンジェルからの資金を、彼が何に使っていたのか風の噂で聞いた。
 正月は帰るのかい。
 いや、故郷に錦を飾れるようになるまでは帰りませんよ。
 そういって別れた、商学部出の男を私は思い出している。
 確か二年前のことだ。

「緑色の坂の道」vol.2902

 
     五反田ダンディ。
 
 
 
■ 昔、五反田にあった映画館の傍で、男色趣味のひとに声をかけられたことがある。
 私も若かったものだから、暫くトイレにいくたびにうんざりした。
 上野界隈にはそうした映画館があって、間違えて路地に入るとたいへんなことになった。
 カモがジーンズを履いてきたというような、おかしな緊張感が狭い路地裏にみなぎるのである。
 
 
 
■ 都会で暮らしていて、深夜のサウナに泊まったことのない勤め人は少ないと思う。
 なんともいえないものだが、完全にチンボツしている全裸の男が仰向けに寝ている姿というのは滅多に見ることができない。
 見てどうだということもない。一夜干しみたいなものである。
 リー・マービンとリノ・バンチュラが化粧をして煙草を吹かしているような店に何度かいったことがあった。
 いつも酒は学割待遇で、時々説教をされるのがたまに疵だった以外には、夜の街とは凄いものであるなという記憶が残る。暫くして、別の線で遊ぶようになってから足が遠のいた。
 いわゆる場末の酒場には、前にいろいろあっただろうなという風情の男や女がタムロしている。何をして生計を立てているのか、実際はヒモだったり博打打ちだったりもするのだろう。
 昼間からビールを飲んでいる男がタクシーの運転手だったりすることはごく普通で、彼は演歌の歌手のような色男ではあるが、どこか崩れた横顔をしていたりした。腕時計だけが金色である。
 
 
 
■ 博打打ちは負けることに慣れた人種である。
 と、書いていたのは山口瞳さんだった。
 長いことその意味が分からなかったのだが、この歳になると実感をもって腹に響いてくる。
 例えば浴槽でもトイレでもいい、そこの水垢。
 そういった風情が躯全体に染み込んできて、なかなか抜けきらない。
 あるときそういうものは、全て捨てるなり漂白してゆかねばならないのだが、なんのためかというと、例えば何かを書こうとする場合である。
 無頼派作家という言葉があるけれども、彼らは作品をつくるときだけは、生活の向こう側に立っていた。
 この水垢のような匂いは、時々自分の躯から立ち上る。
 いわゆる、写真家っぽいとかデザイナ臭さというもので、最近はここにIT業界臭さというものが濃厚に加わってくる。
 この題目、表題を変えてつづく。

「緑色の坂の道」vol.2901

 
     冬の雀 3.
 
 
 
■ なんとなく憮然としているので、車を出して氷川丸の辺りへゆこうかと考えた。
 やるべきことからの現実逃避である。
 この場合、ニコンのF2フォトミックあたりに50ミリF1.2をつけ、フードなしで助手席に置けばいいのだろう。
 完全機械式のカメラが、遮断機のようなシャッター音をさせる。
 冬だからね。
 途中、工業地帯を抜けるからね。
 
 
 
■ F2のシャッターは、川崎のバーチカル・ツイン、W1Sのキックみたいなものである。
 クランクが戻るときに出す音。
 露出計の指示は角度によっては見えにくいのだが、重たいものだから手ぶれしにくい。 と、クーダラナイ蘊蓄をあれこれ並べ、かろうじて日々すれすれ。