「緑色の坂の道」vol.3577

 
    行方について。
 
 
 
■ 12月は会合と飲み会のためにあるかのような気がした。
 朝方近くまで、というものがいくつか続き、次の日はほとんど使い物にならない。
 若い頃、といっても三十くらいだったと思うが、どんなに酒を飲んでも翌日の午後になるとどうにか格好がついたものだ。
 が、もういけない。
 酷い時は翌日の夜中まで、あるいは更に日付を超えて、漠然と天井を眺めているようになる。これを家庭内および事務所内チンボツという。
 水もでねえや。

「緑色の坂の道」vol.3576

 
    夢の柵。
 
 
 
■ 一夜にして街の飾り付けが変わる。
 他の国のことは知らないが、日本というのはそういう国なのだろうと思う。
 昨日まで八紘一宇で、今日からは赤旗と。
 そしてそのときそのときは、必ずしも一生懸命なのである。

「緑色の坂の道」vol.3575

 
    そして師走の犬。
 
 
 
■ 男たちの胸のなかには、一匹の痩せた犬が棲んでいるのではないかと思うことがある。
 負け犬が遠吠えが海の傍できこえる。
 ところが誰かを柔らかく抱くことも、それから振り向くことも、その犬がさせるのであって、そうなると笑顔というのは不思議なものだ。

「緑色の坂の道」vol.3574

 
    冬の瞳。
 
 
 
■ 街に誰もいない。
 祭が終わったからだ。
 内堀通りを走っていると、犬が一匹いた。
 奴はふりむいて、お前も何処へゆくと口をあけた。

「緑色の坂の道」vol.3573

 
    家へ帰らないか。
 
 
 
■ という緑坂を随分前に書いたことがある。
「甘く苦い島」でも、NYのチャイナタウンの写真にコピーとしてつけた。
 
 
 
■ このところ、朝方近くまで飲む機会が多く、ほとんど沈没している日々だが、例えばこの12月一杯で仕事を離れるという男たちと会った。
 彼は身体を悪くし、以前とはすこし違う話し方をする。
 私の吸っている葉巻を、ひとくち頂戴と廻しのみをした。
 ぼそぼそと、一見派手に動いている組織の内実を話してくれたりする。
 割り切れないものが多い時、無理して割り切ることはできないでいる。
 
 
 
■ 帰るところがあるのだから、そこへ戻るべきなのだろうと思う。
 坂道をゆっくりと下りながら、同世代の男ふたりは寒いぜと肩をすぼめたりした。

「緑色の坂の道」vol.3571

  
    お局行進曲。
 
 
 
■ 暫く前、クレイジー・キャッツが歌う「実年行進曲」とかいうのがあった。
 それを聴いていたとして、誰だかがイウ。
 
 おれたちゃお局 文句があるかー
 背も高いが プライドたかいー
 機械にゃよわいが 男にゃつよい
 ばーかにすんなよ まーだこれからだ
 毎晩いっても 大丈夫大丈夫
 
 
■ このようにして、師走の夜をのしのし歩いてゆく妙齢本格派の集団。
 センター街でも道ができるという。

「緑色の坂の道」vol.3570

 
    師走のヤサグレ 2.
 
 
 
■ 新宿で飯を喰った。
 盛り場とは大体そういうものだが、隣の肘があたるかようなカウンターでとりいそぐ。 女三人、口を開けて食べながら喋っていて、緩やかに偏差値である。
 みなかったことにして次へゆく。

「緑色の坂の道」vol.3569

 
    師走のヤサグレ。
 
 
 
■ という題でメールを書いた。
 同世代のジャーナリストと、なんとはなしに飲もうということになったからだ。
 場所は銀座裏。北千住でも良かったのだが、帰り際が困るという。
 昔浅草界隈で飲んで、電車がなくなり、そのまま曖昧宿に泊まって随分高かった覚えがある。指で触ると、過酷な畳であった。
 浅草というのも、夜が更けるとなかなかヘビーなところがある。
 
 
 
■ ひとりは酒を止められているとか言って、手羽先ばかりを食べていた。
 大根食わなきゃだめだよ、とサラダをあてがう。
 焼酎のおかわり、と叫ぶと、北澤さん出世したじゃないすか、こないだは一番安い奴くれとか念を押していたのに、と指摘される。
 やだね記者って、メモとっているね。
 150円くらいの階級上昇。おお、弁証法。などと言って男たちは騒ぐ。
 隣には妙齢の方々が楽しそうにサレテおられた。

「緑色の坂の道」vol.3568

 
    愛人。
 
 
 
■ 私は声が低い。
 何時だったか麻布十番の辺りをうろうろしていて、店のドアが開き、流れてきたのが「愛人」の中国語版だった。香港で客死した彼女の歌である。
 散々遊んで転がして。
 と、浅田次郎さんが書いていたかのような、一見薄幸そうに見えて実は腰の太い、いわゆるそういった仕事に関わる方々のテーマソングのひとつである。
 
 
 
■ 上海のカラオケスナックで、それが流れていたことを思い出した。
 何省から来ているのか。ほぼモンゴル付近ではないかと思われる彼女が太い腕でマイクを握る。少し毛深い。
 私はデジタル一眼でその姿を撮ったりもしたのだが、液晶で彼女達に見せるための場繋ぎであった。
 思い出すと緩やかに嫌味なものだ。

「緑色の坂の道」vol.3567

 
    裏からみた枯葉たち。
 
 
 
■ 東京の今時分、大き目な葉はプラタナスである。
 見事なそれを歩道に見つけると、これを踏んでいいのだろうかと僅かに思う。
 それから踏むのだが、例えばガード・レールの傍に少しばかり山になって銀杏の黄色があったりした。夜になるまでそれは残る。
 私は、新しいクッション・カバーをひとつ買おうと思っていた。
 中も薄くなってきているのだが、とりあえず節約である。
 とても爽やかに応対をする店にいって、無条件に信じているものだから個人的には寂しくなった。
 お飲み物は何にしますか。
 と、尋ねられているような気もしたからだが、いずれにしてもそれを求める。