厄介だった夏。
 
 
 
■ 旧い車が入庫しているあいだ、ちょこまかと差し入れをした。
 担当者だけではなく顔も知らない整備の方、膝を曲げて歩く踵の高い靴を履いた妙齢だったりした。
 保険で車を借りたり、それ以外で都合つけてもらったり、パーツの手渡しなども何度かあった。
 ディーラーでの整備は、純正部品以外は厳しいところがあるのだけれども、そのパーツがないものだからドウシタラヨカロ。
 結局ラジエターは国産のものを付けたのではなかったか。
 手間のかかることをやってもらっていて、誠に申し訳ないという気分は常にある。
 

 
■ ショールームの妙齢は総じて背が高く、ヒールを含めると175cm以上ある人が何人かいた。私と並ぶかわずかに高いくらいである。マスクをしているので眼がぱっちり、実は気が強いという気配がふくらはぎ辺りにに籠められていて時々頼もしかった。
 新型のドイツ車を暫く借りた時期もあったのだけれど、いつものように数日で飽き、少し流そうかという気には一度もならなかった。
 夏は過ぎる。
 
 
 
■ 感染症のせいで世の中が変わり、私は戦記物と呼ばれる本を乱読していた。
 柳田さんの「零戦燃ゆ」は今でも読みやすい。
 ペリリュー島や沖縄・シュガーローフの辺りは、何年か前に読んだものをまた手に入れている。