12月の花束。
■ 溜まったCDを整理してHDDに入れた。
いわゆるネットワーク・オーディオと呼ばれるものである。すぐに使い道のない、やや古いノートPCに外付けのHDDをかまし、USB-DACから取り出して旧いプリメイン・アンプに繋いで流している。アンプはかれこれ30年ものだろうか。
HDDは複数作った。ここ数年使っているモバイルWSにも同じソフトを入れて出先で聴くという目論見である。それ用に小型のDACも使うのだが、もちろん音は変わる。
■ ネットワーク・オーディオ用のソフトは甲乙付け難いところがあって、都合二種類入れてみた。音質がいいというドライバーも使ってみる。
アトリエというか仕事場で一日流していると、下手に音を弄ってやるよりそのまま出した方がよさそうで、ここがスマートフォンなどとは違うところだった。
凝ろうと思えばいくらでも凝れる。
ケーブル、USB-DAC、真空管のプリメイン、そしてスピーカーとヘッドフォン。PCの場合には特に電源も関係しているという。
ここで思い出すのが、小林秀夫さんの対話集である。
音楽装置に凝りに凝った作家と話していて、なかなか噛み合わない。
幻想を打ち砕くようなことを平気で言う。
今書棚を探してみると、「直観を磨くもの」(新潮文庫)という本だった。作家は五味康祐さんである。
ぱらぱらと捲ってはみたが引用は避けておく。
■ USB-DACなどには、数十万するものもあるという。
ざっと組んでいくとおおむね100万が入口みたいな道楽になるのだが、どんなもんなんでしょうね。
昔、車のオーディオに凝っていた友人がいたが、おまえマフラー替えたら意味ないんじゃないと素朴に疑問に思った覚えがある。
いいんだいいんだ、自己満足なんだ。
まあそうなんだよな。