つげ兄弟とアンポ。
 
 
 
■ 業種にもよるが、八月というのは少し停滞する。
 昼間の厄介の話である。
 休暇が入るからだが、若い頃これがなんとなく許せなかった。
 先へいこうと焦っていたからである。
 

 
■ 映画界の戦争責任や転向論、あるいは東宝争議のことなどに興味を持ち、関係資料を捲っていくと、体系的な俯瞰ができていないことに気がつく。いわゆる基本文献という奴ですね。その読み込みが足りないト。
 そこで頑張ってしまうという立場もあるのだろうが、まてよ、と押し留める気分も片方にあって、これがどこからくるのかわからない。
 赤坂から青山へ抜ける道の辺りで、若い警備員が立っている。
 若いから誘導がスムースかというとそういうこともないのだが、あちらこちら工事が多い。
 
 
 
■ 60年安保の頃、つげ義春さんはナニをしていたか。
 弟の忠男さんはどうだったのか。
 繰り返し作品化されているが、どん詰まりの青春のようなところで、貧困と女と、もっと正確に言えば性欲と闘いながら漫画を描いていた。
 アンポ、俺もよくわかんねんだ。
 エンディングがそういう会話の作品があって、片目では眺めていたらしい。