不感帯 4.
 
 
 
■ 伊丹万作の「戦争責任者の問題」の中にこういう一節がある。
 
「もちろん、私は本質的には熱心なる平和主義者である。しかし、そんなことがいまさら何の弁明になろう。戦争が始まつてからのちの私は、ただ自国の勝つこと以外は何も望まなかつた。そのためには何事でもしたいと思つた。国が敗れることは同時に自分も自分の家族も死に絶えることだとかたく思いこんでいた。親友たちも、親戚も、隣人も、そして多くの貧しい同胞たちもすべて一緒に死ぬることだと信じていた。この馬鹿正直をわらう人はわらうがいい。
 
このような私が、ただ偶然のなりゆきから一本の戦争映画も作らなかつたというだけの理由で、どうして人を裁く側にまわる権利があろう」(前掲:212頁:初出『映画春秋』創刊号:昭和21年8月)
 
 鞭打つようで申し訳ないが、見事な作文だと思う。
 中野重治が指摘するように「文筆の人として優に一家をなして」もいた。
 

 
■ ところで、同じ伊丹万作監督が記した「戦争中止ヲ望ム」はこのように始まっている。
 
「現在ノ日本ハ、政治、軍事、生産トモ行キ当タリバッタリデアリ、万事ガ無為無策ノ一語ニ尽キル」
 
 この文章は、米軍本土上陸の可能性が高まってきた昭和20年初頭に書かれたものだろう。戦艦大和による沖縄特攻の菊水作戦が四月。大和、武蔵などの存在は、戦後まで国民には知らされもしなかった。
 
「政府ハ二言目ニハ国民ノ戦意ヲウンヌンスルガ、イママデコトゴトク敗ケツヅケ、シカモサラニ将来ニ何ノ希望ヲモ繋ギ得ナイ戦局ヲ見セツケラレ、加ウルニ低劣無慙ナル茶番政治ヲ見セツケラレ、ナオソノウエニ腐敗ノ極ホトンド崩壊ノ前夜トモイウベキ官庁行政ヲ見セツケラレナオカツ戦意ヲ失ナワナイモノガアレバソレハ馬鹿カ気違イデアル。
我々ハモハヤ日本ノ能力ノ底マデ知ルコトガデキタ。
モウタクサンデアル。
コンナ見込ミノ立タナイ愚劣ナ戦争ハ一日モ早クヤメテモライタイ」(前掲:181頁)
 
 
 
■ 非公開の文章とは言え、だからこそ、かなり強い調子で叩きつけるようにその本心を吐露している。
 カタカナ混じりで慣れないものだが、できれば声に出して読んでいただきたい。
 ソレハ馬鹿カ気違イデアル。モウタクサンデアル。
 ほとんど叫びと言っていいのではあるまいか。
 伊丹監督は、確かに戦争映画は作らなかった。
 作れなかったのである。
 当時、不治の病とされた結核を発病し病臥していたからだが、1937年に公開された「新しき土」は、ドイツと日本の国を挙げての国策映画だった。36年が日独防共協定。翌37年にはここにイタリアが加わり、枢軸国の布陣は完成する。
 同作は大々的に喧伝され、時の論壇でも異例と言っていいほどの論評が繰り広げられている。その辺りの事情は、「日本映画とナショナリズム 1931-1945」(岩本憲児編:森話社:2004)などに詳しい。
 本人の内心の意図や姿勢はともかく、時流には確かに乗っていた刹那もあった、と言わざるを得ないのではないかと私は思っている。