不感帯 3.
■ 終戦直後の伊丹万作は比較的爪先立ったことも書いていた。
ただ、その数は少ない。翌年、46年の9月に亡くなってしまうからだ。
戦時中抑圧されてきたものの反動という側面もあっただろう。
ナンセンス。乾いた笑いを得意としてきた伊丹の作風が、戦後混乱期のドタバタをほとんど喜劇であるかのように眺めさせていたところもあったようだ。
昭和の始めというのは、エロ・グロ・ナンセンスの時代と評されることも多いが、例えば、坂口安吾が「ファルス」を軸にした「風博士」で戦前の文壇に登場したことを思い出すこともできる。
ナンセンスにしろファルスにしろ、閉塞的な時代の風潮を生き延びていく一種の擬態なのである。
■ 昨日まで八紘一宇を声高に叫んでいた人物が、一夜明けると民主化に鞍替えし赤旗を振っている。
この変わり身のはやさはどこから来るのか。
白い馬に乗っていた神様が人間宣言したりする。
伊丹万作は終戦時に45歳だった。
「新しき土」公開が37歳。その翌年より結核を患い病臥していく。
その間の生活がどのようなものだったか。後に大江健三郎氏の妻となる愛娘の記などによってその断片が知れるのだが、伊丹の表現は自ずと文章に向かい、中野重治が指摘するように「文筆の人として優に一家をなして」いた。
生前、十分な評価や対価が得られなかったとしても、映像の積み上げ方とは異なった別の文法を身につけていたのである。
■ ところで、伊丹の「戦争責任者の問題」の中にある「自由映画人連盟」というものがどういうものだったか、私は今のところはっきりしたことが分からないでいる。
東宝争議、映画界の戦犯追放に関わっていたことは推察できるのだが、となれば時のGHQの占領政策とも密接に繋がっていた筈である。
ネット上で検索をしても、先の震災や原発事故に絡めてのナルシスティックな共犯論が多く、具体的な記載は見当たらなかった。
大江さんが編集した書籍に出ているのかも知れない。
それとも、映画史の資料を捲っていかないと駄目だろうか。
調べたところで知的な按配に過ぎないことも分かっていて、やや暗澹たる気分でもいた。