不感帯 5.
 
 
 
■ もう少し伊丹万作の文章をひいてみる。
 こちらは日記である。「静身動心録」と題されていた(伊丹万作全集2:筑摩書房版:329~頁)。
 
「昭和19年7月27日
 敵、テニヤンに上陸。いつの日か本土上陸必至を覚悟す。日本を滅ぼすものは遂に無知なる精神主義と、固陋なる官僚と、貪欲なる資本家と、頑迷なる軍人ときまれり。
 
昭和20年 5月5日
 今次の大戦を世界史的に見ると、要するに反動国家ないし思想の撃滅戦と見られる。この戦争が世界史の進行方向にむかって片づくならば、次には必然的に民主主義と共産主義の戦争がくるだろう。そしてこれも世界史の発展の線に沿うならば共産主義の勝利に終わるだろう。かくて世界は一応統一せられ、ひとまず戦争のない世界がくるはずである(略)」
 


 
■「8月10日 晴
 やはりソヴィエトは開戦した。世界史は筋書きを誤らないで、ズンズン発展していく、広島は壊滅らしい。もうまったく戦争にならない。こうなればもう一刻も速くこちらが負けるのを待つだけである。米一升のヤミ値百円(略)。
 
8月15日 晴
 朝新聞不着、正午となりはじめて陛下の肉声を聞く。意味はほとんど聞き取れず。とにかく日本が無条件降伏をせしことは明らかとなる。敗戦というものを始めて味わう。にがいにがい涙である(略)。
 
8月21日 晴
 今日は塩鱒を沢山に配給あり。
夜十三夜の月澄む。つくづく平和を感じて不思議な思いにふける。夜、眠れず、シナリオ研究会の腹案を練る(略)」
 

 
■ この「静身動心録」という日記形式の一文は、どうも公開を前提として書かれたものではなさそうである。
 伊丹の死後、昭和21年12月に大雅堂より出版された「静臥後記」という本には収められていない。
 ここで目を引くのは、昭和20年5月5日の日記である。
 成程、と少し調べてみると、伊丹万作の「一つの世界」という私信の中にもこれに類した発言があった。
 
「さて民主国と共産国といずれが勝つかはなかなかわからないが、ぼくの想像では結局いつかは共産国が勝つのではないかと思う。そのわけは同じ戦力とすれば一方は思想戦で勝ち味があるだけ強いわけだ(略)。
 現在までのところ共産主義に対抗するだけの力を持った思想は生れていないし、これから生れるとしてもそれが成長し熟するまでにはすくなくとも百年くらいかかるだろうから、一度統一された世界ではそうちょいちょい戦争は起らないものと考えてよい。
 まあこの夢物語りはここでおしまいだがこれが何十年先で当るか、案外近く実現するか、おなぐさみというところだ」(「現代日本思想大系14 芸術の思想」筑摩書房)
 こちらの日付は昭和20年3月16日とされている。