砂の岬 2.
 
 
 
■ 池島さんは「教授グループ」事件に大きなショックを受けたと書かれている。
 これは昭和13年2月1日、東大の大内兵衛、有沢広巳、脇村義太郎の三氏ほか、各大学の進歩派といわれた教授数人が警視庁に検挙された事件である。「第二次人民戦線事件」とも呼ばれていた。
 共産主義者のみならず、自由主義的傾向を持つ者に対して検挙が始まったことに「(私は)これからくる怖ろしい時代の予感に暗澹たる思いがした」と、その20年後、池島さんは記している。
 
「この教授グループ事件以来、急速にジャーナリズムは変貌を遂げたと思う。みずから新時代便乗のポーズをとる人が急速に増えてきた」
 池島さんの筆はこのあたりからとまらなくなる。
「朝、出へ出勤してみると、この人達の或る人は声高らかに自分の机で古事記を朗誦している。或いは日本書記を朗誦している。
 そして私の顔をみて、これ見よがしに、日本精神のないヤツがやってきた、というような顔をする。ものに憑かれたようなこの人達の姿を見ることは私には苦痛であった」
 
「『今夜の会合には、国賊的出版社の者が同席している。わたくしは彼らと同席するを快しとしないが』
 演出まで考えて大いにブチまくり、自分の雑誌がいかに愛国的であるかを大宣伝したのである」
「敵は外にあると同時に、もっと強く内部にあると覚悟してもらいたいことである」
(「雑誌記者」池島信平著:99-101頁)
 
 
 
■ 大岡昇平さんであれば「阿諛者」と呼んだ人々の群れである。
 それが社内ならびに同業者の間で大勢を占めていく。
 声が次第に大きくなる。