新しい天使 - Angelus Novus.
 
 
 
■「複製技術時代の芸術」ならびに「写真小史」を書いたヴァルター・ベンヤミンは若き日、パウル・クレーの絵を購入した。
「新しい天使」(Angelus Novus)と題されたそれである。
 ベンヤミンはユダヤ人だったが、ナチ政権から亡命の途上、ピレネー山中で服毒自殺を遂げたと言われている。その時もクレーの同作品を所持していた。
 死の年、1940年に書かれた彼の遺言ともいうべき「歴史の概念について」、その第9テーゼには以下のようにある。
 
 
「『新しい天使』と題されているクレーの絵がある。
 それにはひとりの天使が描かれており、天使は、彼が凝視している何ものかから、いまにも遠ざかろうとしているところのように見える。彼の眼は大きく見ひらかれていて、口はひらき、翼は拡げられている。
 
 歴史の天使はこのような様子であるに違いない。
 彼は顔を過去に向けている。
 
 我々には出来事の連鎖があらわれくるところに、彼はただ一つ破局しか見ない。その破局は、絶えず瓦礫に瓦礫を重ね、彼の足許に投げつけてくる。
 
 彼はできればそこに留まって、死を目覚めさせ、潰れたものを集めたいのだろう。しかし楽園から吹いてくる強風が彼の翼にはらまれ、その風の勢いが激しいので、彼は翼を閉じることができない。
 強風は天使を、かれが背を向けている未来の方へ不可抗的に運んでゆく。
 その一方では彼の眼前の瓦礫の山が、天にも届かんばかりである。
 この嵐が我々が進歩と呼んでいるものなのだ」
(ベンヤミン「歴史哲学テーゼ」より。適宜改行)
 
 
 
■「歴史の天使」
 という言葉が目を引く。
 進歩はある種の破壊とカタストロフを含んでいる、という認識をベンヤミンは持っていた。ベンヤミンは第一次と第二次両大戦のあいだに、経済的・技術的な進歩の中には退歩が内在していることを予兆したおそらく最初の一人である。
 ナチの強制収容所は、進歩の概念とテクノロジーに支えられていた。
 人間を峻別して文字通り資源として使う、あるいは殲滅する。近代的な工場(システム)の果てだったのである。
「グラーク」と呼ばれるスターリニズムの強制収容所とは、どこか似ていてどこかが決定的に違っている。どちらも近代の闇から生まれたものなのだが、深さの淵が異なっていた。前者の到達点は労働収容所だが、ナチの場合には「ガス室」だったからである。
 私は、そんなことを考えながら12月の夜を眺めていた。