庄太郎は助かるまい。パナマは健さんのものだろう。
■ 師走に入った。
あれやこれや落ち着かない昼と夜が続く。
パーティがあったりなかったり。戻ってからソファに横になってクレーの画集と昭和史の本をぱらぱら読み直していた。
これは何時買ったものか、同じものが何冊もあって馬鹿じゃナイだろうかと思うのだが、資料のつもりだったのだろう。
■ それは「講和から高度成長へ - 国際社会への復帰と安保闘争」(柴垣和夫著;小学館;1989)というものだが、コンパクトにまとまっていて面白い。
1960年。国会前に10万人規模、時には33万人のデモ隊が押しかけた辺り。
国民会議の構成団体。ゼネスト。いわゆる文化人・知識人と呼ばれる方々による安保批判の会など、当時の情勢が比較的抑えた筆で記されている。
右翼テロの台頭。児玉誉士夫の維新行動隊。岸首相が退陣間際に右翼に刺され、10月には浅沼社会党委員長が同じく右翼少年に刺殺された。
また、学生運動の指導者であったひとりが、実は右翼の大物田中精玄から資金援助を受けていたり、警視庁首脳部とも談合していたことが後のTBSラジオ(1963年2月26日)で放送されたことにも触れられていた。
この辺りの顛末は、先年亡くなった吉本隆明氏がその実名と共に書いている。全集に収められているというが私は未確認である。
陽動と挑発。そして内通。半ばセオリー通りの展開だった。
左右両陣営とも、いわば革命前夜の気分にあったのだが、当時研究者の一人としてデモに参加していた著者の柴垣氏は、「国会議事堂前から地下鉄の終電に乗って帰宅したが、国会周辺の興奮した雰囲気とくらべて、あまりにも日常的な車内の情景に、つよい違和感を覚えたことを記憶している」(前掲;339頁)と記していた。
渦中にありながらこの視点は興味深い。
■ 安保批判の会とは「作家、評論家、演劇・写真・宗教・ジャーナリズムの関係者によって結成された」という(前掲;317頁)。
この辺り、複雑に思うところはあるのだが割愛する。
経済成長は1955年あたりから始まっていた。この後、東京オリンピックをあいだに起き、この国は高度成長時代に突っ込んでいく。