卑怯者の弁。
■ 山口瞳さんが「男性自身」に書かれていた連作である。
普段山口さんは政治に関わるようなことをほとんど書かなかったのだが、清水幾太郎氏の「日本よ国家たれ」という論文に対し、周囲の沈黙をよそに、単独噛み付いたのである。時に1981年。
日本ペンクラブのサイトに転載されている。
緑坂では外部にリンクを貼らないのが流儀なのだが、ここは例外として紹介させていただく。
https://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/guest/essay/yamaguchihitomi.html
以下、抜粋。
「『日本よ国家たれ』と清水幾太郎先生は言う。国を守れと言う。
その場合の国家、日本国とは何であろうか。国家を代表するものは日本国政府である。日本国政府とは、すなわち自由民主党である。自由民主党を操る者は田中角栄である。田中角栄のために命を捨てろと言われても、私は厭だ。私は従わない。
日本人を守れと言う。しからば日本人とは何であろうか。
ムハマド・アリがアントニオ猪木に格闘技を挑んで、これは演出上のことであるけれど『醜い日本人(ジャップ)』と叫び、罵詈雑言を喚き散らしたとき、私は、そうだ、その通りだ、もっと言えと思ったものである
マッチ擦るつかのま海に霧深し身捨つるほどの祖国はありや
これは寺山修司の絶唱であり、記憶で書いているので字句の正確を期しがたいが、たぶん間違いはないと思う。これは寺山さんの初期の作品で、少年時代のものと思われるが、詩人の烈々たる祖国愛に同感することを禁じ得ない。
こんな日本国を、こんな日本人たちを、どうやって、なんのために、命をかけて守る必要があるのだろうか。
卑怯者である私は、ひそかに、そう呟くのである」
(山口瞳「卑怯者の弁」)