あずさ弓 5.
■ 50歳を過ぎたある方が、いつだったか山田監督のことをかなり揶揄していた。その気持は分かる。私もそうだった。
しかし待てよ、30代の独身者でもないだろうに。
ちらちら眺めていたのだが、その背後にはいわゆるニュー・エイジ思想のようなものがあって成程と思ったものである。津村さんだったろうか、その方が書かれたものとほぼ同じ台詞が出てくる。
社会変革という単語が大好きで、もうじきいくつかの業界はなくなると予言もしていた。
■ 少年期は貧乏だったという。両親が不仲だったこともある。
勉強が出来たので上に進み、西日のあたる下宿にいた。
その後あれこれ活躍したが、訳あってこう。
組織から離れての生き方を、毎年のごとく肯定しようと試みている。普遍化したいのである。
カタカナ英語を並べたり、新しい言葉を造ったりもするけれど、どうしても前職の癖が出てしまう。総じて論理に飛躍がありやや強引である。結論が先にあってそれに合う事例を捜してくるからだった。
そのあたり、普段相手にしているひとたちではない世界はやはり厳しく、端的に指摘されてもいた。
■ ルサンチマンから出発すると、一定のところまではいく。
その先、となると何があるのか分からないし、目指す方向はその個人によって違うものだが、ただ努力していればいいというものでもなさそうだった。
自分たちの親の世代、また子の世代。
関わっていけば、言うに言われぬ厄介がある。
「バカだよねぇ」と、言いたくなることもある(森川信さんの声で)。
リエゾンで返されることもある。うっせえな、オレはいいんぜ。
リエゾン。
遮二無二突っ込んでいかねばならない時期もあるものだが、時には随分と下がらねばならないこともあるのが世の常で、ブツブツ言いながらも裏方を務めるのである。