砂の岬 9.
■「The Corpse-Rider」という小品がラフカディオ・ハーンにある。
「死骸にまたがる男」と上田和夫さんの訳では記されていた。
「屍に乗る人」という訳もある。
よく晴れた10月の夜、ソファの上に横になってそれを捲っていた。
虫の音はもう聞こえなくなっている。
■ 離縁された悲しみと恨みのために死んだ女がいる。
八つ裂きにしてやろうと、女の死骸は男を待っている。
男は陰陽師に相談する。女の死骸の上に馬乗りになり、その長い髪を掴んで朝までもちこたえていれば厄災は免れると陰陽師は言う。
「何時間も、男は恐怖につつまれて死骸にまたがっていた。そして夜の静寂(しじま)はあたりにいよいよ深まって、とうとう彼は、悲鳴をあげてそれを破った」
とたんに死骸は踊りあがる。
「それからすくっと女は立ち上がり、戸口へ跳んで行き、戸をさっと引きはなつと、夜の中へ飛び出した、いつまでも男を背負いながら」
「女がどこまで行ったか、男にはわからなかった。男はなにも見なかった。ただ暗闇に、女のはだしの、ぴちゃぴちゃいう足音と、走りながらひゅうひゅういう息づかいが聞こえるだけであった」
(「小泉八雲集」上田和夫訳:25頁:新潮文庫)
■ ぴちゃぴちゃ、という音が怖い。
白い足の裏と、付着した泥の対比が浮かんでくるかのようである。
長い髪を両手で持ち、一晩中、馬の手綱のように跨っているというのも相当くたびれる。女はどんな顔をしていたのか。馬なのか。
ハーンこと小泉八雲は、東大で漱石の前任者だった。
「耳なし芳一」「雪おんな」などの怪談で知られているが、この「死骸にまたがる男」では元々の奇談が持っているざらっとした箇所が所々にみられる。
男はいずれ生き延びる。この後日談にハーンは不満な様子だった。