コタツ龍之介 2.
 
 
 
■ 中里介山の「大菩薩峠」という小説が好きだった。
 30代の頃から、時々読み返しては途中で放り投げていた。
 お調べになれば分かるように、計41巻にものぼる長編小説で、しかも完全な形では終わっていない。
 何故魅かれるのか、一度考えてみたいなと思っていて、ぽつぽつと資料などを集めていたのだが時は過ぎる。
 
 
 
■ 話はやや逸れる。
「内田吐夢の全貌」という本があって、ご子息・内田有作氏が監修している。編集が藤井秀男氏(エコールセザム発行)。
「大菩薩峠」の関係だったろうか、なにかのはずみにぱらぱらと捲っていたら、若い頃の内田トム監督のやんちゃぶりというか、どうしようもなさが記されていて滅法界であった。
 20歳の頃は「濱のトム」と呼ばれたこと。
 京都で書生のフリをしていたが、役者だと下宿の大家にばれて随分肩身が狭かったこと。
 形から入るマルクス・ボーイでもあったこと。
 芝居と不良と左傾とは当時表裏一体であった。当然、女学生なども絡んでくる。
 
 
 
■ 同書「吐夢年代記(未発表原稿)」とされた章の中の一節である。
 中に、関東大震災の混乱の際、無政府主義者大杉栄と伊藤野絵、そして7歳の甥を絞殺した甘粕大尉の話が出てくる。いわゆる「甘粕事件」と呼ばれるものだ。
 それから20年余。
 1945年8月15日を3日過ぎた夜、満映撮影所の理事長室で幹部を集めての最後の宴があった。内田監督はそこに招かれる。
 甘粕正彦は満州映画の理事長であった。
 皆を集め黒板に書いたという甘粕の辞世の句は、内田監督によればこのようなものである。
 
  大ばくち打ち損ね 身ぐるみ脱いで すってんてん
 
 これを甘粕は白墨で書く。
 集まった人間の誰も何も言わなかったというから、むべなるかな。
 甘粕はすぐにそれを消す。