写真の毒について。
 
 
 
■ 先日必要あって写真共有サイトというのを眺めていた。
 半日くらいずっと捲っていると、次第に気が滅入ってくる。
 なんだか生きていてもつまらないんじゃないかというような気分がじたじた湧いてきて、これは一体どうしたことカ。
 
 
 
■ 昔、カメラが毎日とかいう雑誌があって、ひとつの論壇というかなんというかになっていた。古本で数冊を求め、隅から隅まで読んでみたことがあったけれども、60年代末から70年代初めの時代の空気というものを理解していないとかなり厳しい。
 カメラを持つ者は選別された視覚的エリートだという、自覚されていない強烈な自負のようなものがあって、一息いれた場合、困るのである。
 その編集長は確か後に不幸な亡くなり方をされている。
 
 
 
■ どんなものでも、表現というのは薄い毒をもっている。
 それに魅入られてしまうと知らずに深い水の中にひきずりこまれる。
 恋人や配偶者の写真、時には裸身を撮ったり、あるいは老いていく自らの父母を写したり。
 日本には自らの脚を喰う私小説という稀有なジャンルがあったけれども、実生活を物語化することは、作品とはまた別の次元のお話だろうかと個人的には思っている。