春隣。
だれかどこかで何かささやけり春隣(万太郎)
■ 万太郎と虚子はどこか対局である。
虚子も少しは読まなきゃな、と岩波あたりを読んだことがあった。
いわゆる俳句における人生派・生活派に対しての虚子の憤りというか思うところはかなりあったらしく、その気持も分からないでもないところが我ながらおかしい。
この辺り、勘であるが、写真というものに対する姿勢にも何処か似ている。
例えば風景写真というものがどんな風に変遷してきたか。
もちろん人物写真でもいいのだけれども、そんなことを思い出すのである。