蛸と芝居は血を荒らす 9.
■ 現代の眼からすると、この幸三というのは愚図である。
ぐずらぐずらして煮え切らない男が出てくるというのも、新派に限らずこの国の近代芸能のひとつの流れだが、鴎外の「舞姫」なども本質的には同じ話だろう。映画の世界では、成瀬や溝口、小津監督のいくつかの作品を思い出す。山田監督の「フーテンの寅」なんかも実はその系譜だ。
一見威勢がよくみえるのもその裏返しだと知れば根は案外に近いところにある。そうした心もとなさの配分を、菅野菜保之さんが頃合いの水気で演じられていた。
■ ひとつ忘れることができないのは、当時はいまだ明白な身分・階級社会だったということである。
そこでの象徴的な小道具が、西瓜だった。
種を吐き出して食べる西瓜を、今ではいいところの御新造さんになった姉のおきくは懐かしがる。久しぶりだという。
明治から大正期にかけ、西瓜はやや下世話な食べ物として扱われていたようで「こんな乙なものを、どうして、世間の奴らは安くあつかうんだろう」と万太郎は長平に言わせていた。
かつては西瓜にかぶりつき、音を立て種を吐き出し、幸三にからかわれていた姉のおきくは、俗な言葉では玉の輿に乗り別の世界の住人になってしまったのである。
この辺り、樋口一葉「たけくらべ」の変奏曲という趣もあるだろうか。
万太郎は14歳の時仲見世で全集を買い、耽読している。
■ 大正期とはいえ、恋愛も縁談も本人たちの自由にはならない。
断髪のモダン・ガールはごく一部の風俗にとどまっている。
例えば明治から大正への比較的長い間、丸髷が結えるのは一定の階級の内儀だけだった。未婚の女性が仮に丸髷を結っていたとしたら、それだけでこの女性には縁談は持ちあがらないとされていた。
未婚で丸髷を結うのは、芸者か遊女・料理屋の女中頭という階級に限定されていて、例えば二間口の商家の内儀が赤い「てがら」を根に巻いた丸髷姿で外出すれば、たちどころに周囲から陰口を叩かれた。その商いの規模では、せいぜいが銀杏返しか天神髷が相応しいとされていたからである(参照:日本の美術 23「結髪と髪飾」橋本澄子編:至文堂:1968)。
髪型で属する階級も貧富も分かってしまう。
万太郎のこの芝居は、そうした時代のお話だったのである。