蛸と芝居は血を荒らす 8.
■ 話は現代に戻る。
「雨空」における長平の台詞まわしは、演じる俳優が覚えるに酷な代物だった。常磐津の声色からなにから、一通りをこなしていなければその味は出てこない。
また、どこか倦んだ風情も、存外に腰の軽いところも、事あればすぐに飛び出していこうとする荒れた血も、芝居が進むにつれ表に出てくるようになっていた。つまり、かなり達者な方でなければ勤まらない役柄だと思われた。
■ 今回長平を演じたのは、劇団新派の田口守さんである。
大正期の髪型の鬘をつけ、どこか飄逸で、悲恋話の道化の脇を演じられている。芝居、終わり近く。
幸三 何だ、旅へいくのか。
長平 下らねえことにごった返しているところなんか、真っ平だ。‥‥東京ばかりに日は照らねえ。‥‥久しぶりで、また、旅烏だ。
お末 まあ、長さん。
長平 (笑って)お末坊は嫁にいく。‥‥幸ちゃんは上方へ行く。‥‥そこで俺も旅烏よ。これで怨みっこがなくなったのよ。
■ 長平は明日高崎に発つという。
乗打ちでえ、と虚勢を張るが、意識がはっきりしないくらい酒に酔って戻ってきた。随分きこしめしてきたのだ。
だから飲みにいこうと、幸三(指物職人。二十七八)を長平は執拗に誘う。
幸三は親なしで、親方のところに住み込んで働いている。指物師である。
幸三はお末の姉、おきくに惚れていた。
言い交したりもした。ところがおきくは別のところに嫁にいってしまった。
落胆して荒れる幸三に同情した妹のお末は、次第に幸三を心憎く思うようになっていく。幸三も気持は同じである。しかし互いに言い出すことはせず、お末は数日後嫁にいくことになっている。
すべてが嫌になった幸三は、半ば自棄のように上方へ仕事に行くことに決め、もう戻らないつもりになっている。
芝居の途中、見事な丸髷を結ったお末の姉、おきくが登場した。
女中を使っていること、俥で行き来することなどから、格式ある家のいい御新造さんになっていることが知れる。
みなりもそれなりである。