蛸と芝居は血を荒らす 10.
■ 昨日今日芝居を観るようになった人間があれこれ書くのはおこがましい。という気分が根強くある。
かといって、いい席で見物を続けるには暇と恒産が続かない。
満開の桜の週末、なにが楽しくて「‥‥‥」の沢山はいった戯曲を眺めていたのか、自分でも分からないところがある。
専門家の眼からすれば、明らかな間違いを書いている部分もあるだろう。
ご寛恕ならびにご指摘ください。ト。
■ 手元にある偉い先生の本に「日本文化のかくれた形」というものがあって「原型・古層・執拗低音」という講演が載っていた。
執拗低音(パッソ・オスティナート)とは、外来思想受容のかたちを音楽用語で表現したものである。表面はうつろうけれどもその根は、といったところか。
万太郎の芝居には意志的な人物はほとんど出てこない。
運命を受容し、流されていくかのようなところもある。
ただその背後に梃子でも動かない頑固な部分が見え隠れしてもしている。