蛸と芝居は血を荒らす 5.
 
 
 
■ 万太郎の最初の妻は不幸な亡くなり方をしている。
 一子が残されてはいるが、彼もまた比較的早い時期に逆縁となってしまう。
 朋友林氏の談話にはその辺りのことも仔細に書かれてはいるが、どうもここにその名を写そうという気にはならないでいた。
 
淋しさはつみきのあそびつもる雪(万太郎)
 
 息子四歳の時の句である。
 ネットというのは怖いもので、その一子が長じて手がけた演出など、記録が残されているアーカイブもあった。豪華な遺稿集も出ている。
 実生活での万太郎は、どこか非人情だった。身内、親族に対してである。
 あたかも笊のように金を遣ってしまうところもあり、またそういう相方を選んでしまうという性向もあり、文名が比較的上がってからも、いくつかのところには半ば出入り禁止に近い扱いを受けたりしている。払いが滞るが故である。
 人情話を得意としながら、親の葬儀には出ていない。
 どこかザラリとした孤独のようなものがその生涯には漂っていた。
 ただそれが、荒廃とまで言えたかどうか。
 
 
 
■ 先日観た「雨空」という芝居に、長平という書生役者が出てくる。
 年のころ、四十四五。ト、万太郎の原作にはある。
 
 浅草山の宿あたりのこころ。大通りよりすこし離れた新道。おせい母娘の住居。
 八月上旬の曇って暗き宵。二三日身体の具合を悪くしたお末(二十二三)が床の上に座り三味線をそぞろ弾いている。長平は壁によりかかり、新聞を拾い読みしている。‥‥雨もよひの、蚊やりの匂いが澱んで、時をり、冷たい水のような風がどこからともなく忍びこんでくる。‥‥よきところに影燈籠の影が寂しい。
(‥‥お末、上方唄の「菊の露」を弾く)
 
間。
 
(久保田万太郎全集第5巻:発行:中央公論社:昭和50年:215頁)
 本全集では、著作権者の名称が特別に記してある。