彼岸桜。
■ 細い路地のようなものを歩いていくと寺の境内である。
中に銀色の案内のようなものがあって「流民叢塚碑」と書いてある。
天保の飢饉(1833~)で品川宿に辿りつき、飢餓や病で亡くなった人は891人を数えた。その人たちを供養した塚跡である。
近くには永年の風雨で顔の一部が摩耗した石仏が数体立っている。
流民というのか。
砂利道の両脇は駐車場になっていて、工務店の四角い車の下に年季の入った猫がいる。まっすぐ行くと品川神社の男坂だが、階段を昇るのが億劫だったので旧街道の方へ歩いた。