残花三昧 2.
 
 
 
■ おさわ役は浅利香津代さんだった。
 立居の姿が愛らしく、そして20年30年と花街で芸を張っていた風情がそこかしこに漂っている。
 女学生がそのまま大人になってしまったんだよ、という屈託のなさ。無邪気さ。けれども一本立の芸妓として、なかったことにしなければならなかった昼と夜というのもある筈である。
 そこを濾過してきた風姿は、いくら稽古や修行をしても得られるものではないということだけは分かる。
 
 
 
■「三の酉」は唐突に終わる。
 一緒に歩いていて奥さんにみられるよう、こんどはわたしがマスクをするから。つぎの「三の酉」にいきましょうよ。
 おさわがはしゃぐ。
 マスクをしていれば奥さんに見られる、なんてのは他愛もない戯言だろう。そんなことは分かっている。
 そうだなと「ぼく」が答え、それっきりになってしまうのである。
 
‥‥おさわは、しかし、その年の酉の市をまたずに死んだ。
‥‥二三年まへの話である
(久保田万太郎「三の酉」)。
 
 原作ではこの後に数行が続く。「ぼく」の独白である。
 大場先生演出の芝居ではそれが巧妙に省かれ、舞台は静止画のように一方で時間が止まっていた。
 照明の方の腕の見せ処でもあったのだが、例えばレンズを通してこれをどう翻訳するのか。誰のどこに焦点を合わせればいいのか。
 俯瞰で眺める舞台の面白さというのはそんなところにもある。