なんたら事だ。
■ ところが、この99話には書き手によっていくつかのバージョンがある。
ひとつは、佐々木を柳田に紹介した作家の水野葉舟。
こちらは柳田に先立って「怪談会」(明治42年8月版)に同じ題材を筆録していた。「遠野物語」は翌43年6月の発刊である。
水野は怪談を多く書いたが、佐々木を実在のモデルとして「北国の人」という作品を発表もしている。
また後年(昭和5年)、佐々木喜善本人が発表した「縁女綺聞」というものもあった。
■ 東雅夫氏に「遠野物語と怪談の時代」(角川選書 471)という良著があるが、そこから佐々木本人のそれを部分的に紹介させていただく。
「振り返り、おいお前はたきの(女房の名前)じゃないかと声をかけると、女房は一寸立ち止まって後を振り向き、じっと夫の顔を見詰めたが、其のまま何も言わずに俯向いた。其人はとみに悲しくなって、なんたら事だ。俺も子供等もお前が津波で死んだものとばかり思って、こうしてお盆のお祭をして居るのだに、そして今は其の男と一緒に居るのかと問うと、女房は微かに俯首(うなず)いて見せたかと思うと、二三歩前に歩いている男の方に小走りに歩いて追いつき、そうしてまた肩を並べて、向こうへとぼとぼと歩いていった」
(「遠野物語と怪談の時代」東雅夫著:195頁から「縁女綺聞」)
■ 一読分かるように、佐々木のそれは非常にリアルである。
ここでは津波で死んだことにはなっていない、というよりも行方が分からなかった女房は、前から思いをよせていた男と確かに暮らしていたのである。
なんたら事だ、という男の嘆きは土着そのものであった。