顔の色を変えて泣きたり。
 
 
 
「今はこの人と夫婦になりてあるというに、子供は可愛くはないのかといえば、女は少しく顔の色を変えて泣きたり。
死したる人と物いうとは思われずして、悲しく情けなくありたれば足元を見てありし間に、男女は再び足早にそこを立ち退きて、小浦へ行く道の山陰を巡り見えずなりけり。
追いかけて見たりしたがふと死したる者なりしと心づき、夜明けまで道中(みちなか)に立ちて考え、朝になりて帰りたり。その後久しく煩いたりといえり」
(「遠野物語」柳田国男著:岩波文庫版:63-64頁)
 
 
 
■ 知られているように、柳田の「遠野物語」は佐々木鏡石こと佐々木喜善からの聞き覚えを記録したものである。時は明治42年の2月。
 「遠野物語」の序文には「鏡石君は話上手にはあらざれども誠実なる人なり。自分もまた一字一句をも加減せず感じたるままを書きたり」と記されている。
 その後にあまりにも有名な一文「願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ」が続いていた。
 当初それほどの評判にはならず、文壇からはほとんど無視されたかたちとなった。その辺りの事情は、岩波文庫版の解説を担当した桑原武夫の一文に網羅されている。
 改版本は柳田60歳の誕生日、昭和10年7月31日に発行されている。こちらは1000部刷られたという。