杏の匂い。
■ 大正12(1923)年9月1日。ほぼ正午。
伊豆沖30キロの海底でマグニチュード7.9の地震がおきる。
それにより首都を含め関東はほぼ壊滅。伊豆、鎌倉など沿岸部に津波。
死者の数は10万数千を数えた。
午後2時0分。警視総監ら、内務大臣に戒厳令の発布を建言する。
同3時0分。警視庁の記録によれば、「富士山に大爆発ありて今なお大噴火中なり」「東京湾沿岸に猛烈なる大津波が来襲する」「さらに大地震がおこる」などの流言が発生。
この頃、「社会主義者及び鮮人の放火多し」の流言あり。
■ 芥川は「或る阿呆の一生」の中でこんな風に書いている。
「それはどこか熟し切った杏の匂いに近いものだった」
(中ほど、あえて略す)
「殊に彼を動かしたのは12,3歳の子供の死○だった。彼はこの死○を眺め何か羨ましさに近いものを感じた」(一部伏字とする)
■「或る阿呆の一生」は、芥川の遺稿である。
1927年、彼が自死した後にみつかっている。
現在、ネット上で読めるのでぱらぱら捲ってみていただきたい。