河原地蔵。
■ 作品の撮影というのは、大体充分な準備はなされないものである。
そこに居座って、雲や天候やその他を待つというような、ある種の伝説の如きものが伝播されることもあるけれども、どうもそれは絵画に対する歴史的に複雑な感情から来ているような気もしている。
ペンと紙だけで為されるから、文章の方が芸術性が高いと言いたげな小林秀雄さんの評論があったけれども、今となるとなんとなく微笑ましく思える。
小林さんはよく文士劇に出ていたが、半分はそれも枠の中での遊びだったろう。
余興というよりも社交である。