場末にいすぎた 4.
■ 昔坂を引っ張り出してきた。
チャンドラーのこの作品は、確か「ヴェルマのいったところまでは見えなかった」で唐突に終わっている。
考えようによっては、漱石の「三四郎」のラストと同じくらいぶっきらぼうである。
この作品は半ばメロドラマのようなところもあって、それがハードボイルド小説の魅力のひとつでもあるのだが、つまり男女間の厄介がリアルに描かれていないと、やせ我慢というか探偵の徒労感に味わいが出てこない。
「結局、私はアレイディス夫人から一文も金をもらえなかった」
と、イントロから見事に描かれているのはその予兆でもあろうか。
■ 一般に男というのはしみじみと無駄な生き物である。
この時間に緑坂を書いていることもそうであるし、それを読んでいるあなたもそれに近い。
私は今、NYで流行っているという青い瓶のウォッカにオレンジ・ビタースを垂らし、ビタスの口をタオルというかダスターで拭くべきかどうかを迷っている。
本来は洗えばいいのだった。