■「お久しぶりですね。どうぞこちらへ」
 低い、ゆっくりした声が聞こえた。
 聞き覚えがある。それは薄い唇からでてくる。
 北沢だ。
「太ったんじゃないのか」
「いや、そういうあなたこそ。互いに髪と躯には気をつけましょう」
 私は革張りの椅子に腰掛けた。柔らかく、躯が埋まった。背中のベレッタが尻にあたる。走羽はすこし離れた丸いスツールに浅く腰をかけている。
 北沢は太ってなどいなかった。
 黒っぽい背広を着ている。英国製の生地なのだろう、こうした人工灯の下で、それは僅かに赤にも蒼にもみえる。沈んだ深い色をしている。
 北沢の隣に座っている女が酒をつくった。長いスカートが膝のあたりまで割れている。中は滑らかなようだ。
 水で割るのかと尋ねられたので、氷だけを入れて貰うことにした。
 グラスを受け取る時、強烈な香水の匂いがした。けれども、それは決して不快な種類のものではなかった。
 
「彼女は香港の女優です。日本の映画にも出ている筈だが」
 北沢が言う。多分そうなのだろう。
 両脇には三十代から四十代半ばまでの中国人の男が座っていた。
 彼等は一様に太り、銀色の眼鏡をかけている。光沢のある明るい色の上着を着ていた。頬の肉で眼が細く押し上げられている。
「こちらは北京中央幹部のご子息達です。ここで用地買収などの事業をなさっている。わたしも大変お世話になっていましてね」
 北沢は自分のグラスを持ち上げ、彼等の前にかざした。
 
 浦東地区を中心としてこの数年、多くのディベロッパーが上海に集まっていた。上海における最近の貸しビルの賃料は、交通や通信、電力などインフランクションの不備にもかかわらず、東京並かそれ以上だと言われている。
 それに関わり、中国共産党の幹部の子息達が独自の事業を興し、莫大な利潤を得ているということは公然の事実だった。
 銀色の眼鏡をかけた男達は北沢にうなづいた。優雅な様子にみせようというのだろうか、私には西遊記の侍従のようにも思えた。