■ 葉子と共に一度上海大厦に戻った。
 この街でEタイプに乗ることに違和感はなくなっている。時々電動ファンが二段階に唸り、オーバーヒートの兆候はみられなかった。すこし古いジャガーは、それが対米輸出タイプのものであっても、夏場は乗れないものと相場は決まっているのだ。
 ロビーに真壁が待っていた。日本の週刊誌を持っている。
「上の説得がなかなかでしてね」
 小切手を渡してきた。額面は一千万円、振出人は「横浜埠頭株式会社」とある。
「領収書いるんだろ」
「ええ、機械類一式その他、としてください」
 真壁は連絡先を教えて戻っていった。乗り込むのをみていると、日本領事館の車ではなかった。
 上海大厦の隣は旧ソ連大使館になっている。上海の公安なのだろう、一台のバンが脇の道に貼り付いている。鈍い灰色の重そうな建物にいくつかの灯りがついている。
 
 フロントにゆくと私宛にメッセージが届いていた。封筒に入っている。メッセンジャーの少年が届けてきたのだろう。
 一度部屋に昇った。走羽に連絡を取ることにした。携帯電話の番号にかける。彼はこういう取引は堂々としていた方が怪しまれないという。今晩十時、浦東の高層ビル、私が広告を作っていた事務所に来てもらうことにした。その部屋はまだ使えるようになっている。
 時計を眺めるとまだ時間はある。先ほどフロントで渡された封筒を指先で開けてみた。
 
 レターヘッドのついた便箋に鮮明なレーザープリンターの印字で日本語が一行ある。レターヘッドは細かな花柄だった。
「近々、会いましょう。北沢」
 と書かれていた。