二七 イピル
 
 
 
 
■ 何時間眠ったのか、葉子が私を揺り起こした。頭を振ってもそう痛みはなかった。まだ生きている。
 葉子が薄い手帳のような携帯電話を私によこした。
 出てみると走羽である。番号は簡単に調べられるのだろう。
「簡単な用意ができました。いつでもいいですよ」
 走羽はそういって、自分の番号を教えた。
 二つ折りにして携帯電話をしまう。電話自体はフランスの製品だった。
 真壁に金の用意ができるのか心配である。
 走羽にどれくらい払えば良いのかもわからない。
 時計を眺めると十分な夜だ。身支度をして下に降りることにした。
 葉子の支度を待たず、ビルの二階に入っているドイツ料理の店に入っていることにする。私は真壁が渡した茶封筒を持った。
 ゆでたジャガイモは旨くなかった。ソーセージはまずまずだ。私はコーヒーを二杯飲んだ。
 
 真壁が渡した書類の束には、かなりのことが書いてあった。
 晃子からのメモも入っている。
 晃子の字で「参考まで」と書かれた紙の下に、新聞記事のコピーがあった。
 今年に入ってフィリピンではテロ事件が頻繁に起こるようになっていた。四月のはじめ、ミンダナオ島南イピルの町に、イスラム過激派組織「アブザヤブ」の兵士二百人が襲撃を加えた。人質を惨殺し、民間人を含め五十三人が死亡する。
 〈イピル襲撃事件〉だ。ニューヨーク世界貿易センタービル爆破襲撃事件に関与していたアラブ系外国人の逮捕・投獄に対する報復措置だと言われている。
 フィリピン警察情報局は「フィリピンでのイスラム過激派の活動と国際テロ組織との関連」と題する特別報告をまとめた。
 アフガニスタン戦争に参加した元イスラム義勇兵が、パキスタン経由でロシア製武器の横流しをしているという。軍事訓練も行っているとされている。
 フィリピンという国自体が急速に様々な国際テロ組織の活動拠点になってきていることへの懸念を報告書は提示していた。
 晃子がどんなつもりでこの記事をコピーしたのか、私にはわからなかった。しかし、晃子のことだ。北沢の背後にある組織は、フィリピン新人民軍NPAやレッド・アーミーという、ある種共通の思想で括られるようなものではないことを示唆しているのだろう。
 
 テロリストに思想などというものはない。
 動機はあっても、手段が目的を凌駕し一人歩きをしてゆく。このことは赤色・白色テロを問わず、二十世紀の歴史そのものが教えている。
 どこがどこまで繋がっているのか、皆目見当はつかなかった。みえない闇のようなものがあって、その入り口に立っているのだと思った。
 葉子が降りてきた。髪を上に束ね赤い中国服を着ている。
 これでは葉子の父に会いにゆくわけにはいかないな。
 そう考えながら葉子が料理の注文をするのを私は聞いていた。