■「〈大災害〉って聞いたことありますか」
冴が私に言った。私は知らないと答える。
「わたしが生まれるすこし前、祖母のいる村は大飢饉に襲われたんです。中国本土全体で二千万とも三千万とも言われる農民が餓死しました。原因は毛主席の夢想的な〈大躍進〉政策と、それに反対する者を〈右傾的偏向反対〉として一斉に排除したことです」
「大躍進、ですか」
「そうです。その頃中国は鉄を作るために労働力を強制的に集中させました。その結果、農村の生産力は極端に低下します。さらに、当時の地方幹部の特権の横行や官僚主義によって、食料が公平に分配されなかったことが飢餓を拡大させてゆきます。その時養祖母が死にました」
「いつのことですか」
「一九五九年から六一年にかけてのことです。当時の中国は六億六千万程の人口がありましたが、その三パーセントが飢餓によって死んだのです」
冴と名乗る彼女は淡々と話した。
「わたしは六十七年に生まれました。文革で北京から下放してきた父と母が知り合い、恋に落ちたのです。母は農場で働いていました。わたしが生まれてから、母が日本人であることが判明します。わたしだけが北京に引き取られ、父の実家で育ちます。父の実家は幹部党員だったのです」
私には事情がよく飲み込めなかった。
「〈葵〉っていう名前は文革時代の名残です」
彼女はこちらを向いてすこし笑った。
「毛主席、紅太陽の方をいつも向いている向日葵という意味です。幹部党員や知識階層が自らの子どもにそのような名前をつけることはほとんどありませんでした。それだけ忠誠を示す必要があったんです」
「それでお母さんはどうしているんですか」
冴は薄く笑い、グラスを口につけ赤い酒を飲んだ。私は自分が無神経であったことに気付いた。
「気にしないで。母の顔は覚えていないのだから」
私たちは店を出て外を歩くことにした。