一二 驟雨
 
 
 
■「あなたは何人もの人が死んでゆく姿を傍でみたことがありますか」
 彼女が私に尋ねた。
 どう答えるべきか私は迷った。
「年齢相応のものしか、私にはないです」
 私はそう答えた。彼女は背の高い赤いグラスを持ち、一口を飲む。
「信用できそうなひとだから、話すことにします」
 私は黙っていた。
 
 冴の母親は元々日本人だった。太平洋戦争が終わり、そのまま大陸に取り残された。祖父は中国東北部の開拓民であり、満州国の日本語学校の教師として東北部のとある都市に赴任していた。比較的裕福な暮らしだったという。
 戦況は悪化する。情報を得て蘇州へと南下する。その途上、冴の母親は売りに出される。足手まといとなる子供を捨てて、祖母と祖父は夜の河を渡ろうとする。金を出せば向こう岸に連れていってやるというのだ。
 小さな村の河沿いの丘で、逃げようとする日本人の乗った船に迫撃砲が当たる。人民解放軍のものか蒋介石の傘下か、今となっては定かではない。
 冴の母はその村で中国人として育った。
 中国人である養祖母は、トウモロコシの団子を実の子とわけへだてなく冴の母に与えた。冴の母は自らが日本人であることを忘れ、娘となった。