■ スツールを引き、彼女は横に座った。
「後ろから眺めていたんです」
名を冴という。彼女がそう言う。
「あなたのことはみたことがあります。冬の頃、倉庫の鍵を取りに奥山さんとスタンドにきたでしょう」
芝浦のスタンドに勤めていた女性だ。あの時は髪を後ろに束ねていた。短い色のついたスカートを履き、タイアの空気圧を屈んで確認していた。
彼女は中国残留二世だと聞いたことがある。私はぶしつけに尋ねることにした。
「奥山さんとはどういう関係なのですか」
「わたしは唯の連絡員です。彼のような仕事の場合、情報を仕入れるルートを幾つも持っているものでしょう」
「残留二世なのですか」
「はい、わたしの生まれは中国本土です」
そこで彼女は言い淀んだ。私たちは酒を飲むことにした。
「あなたは天安門事件って知ってますか」
「ええ、八九年の今頃でしたね」
「日本にも正確には伝わってはいないようですね。わたしはあの時、広場にいたのです。わたしの夫もそこにいました。わたしは上海に逃げてそれから日本にきたのです」
私は冴と名乗る女の横顔をみた。二重だが細長い瞳の傍に薄いシミのようなものがある。化粧は濃くはない。
彼女はカンパリを飲んでいた。青いラベルのロッソを指さし、ソーダで割ってくれと若いバーテンに頼んでいた。
二の腕が白い。
「奥山さんは、どうしてあなたに連絡を取るように言ったのですか」
私は彼女に聞いた。彼女は笑う。
ほとんど色のない唇が開かれ、それからこちらを向いた。
背中が震える程の色気がそこにはあった。