四七 誰も寝てはならぬ
■ 私は酒のグラスを持ちパソコンのある机に向かった。
立ち上げる。中の構造はここで仕事をしていた時と変わっていなかった。エディタを起動し文字の大きさを調節する。思いついた文章を打っていった。
何を打っているのか自分でもわからなかった。単語連想法で深層心理が探れるなどということを、まだ信じているひとがいるのだろうか。
考えていることは女のことだ。殺された冴という女の肌のことである。
私は記憶を甦らせようとしていた。
男女が寝ることがあって、その具体的な味について、鮮明に覚えているなどということは少ない。全体としてこうであるということは後になって言えるが、どこがどう違っているかについては、こちら側の感覚に左右される。その感覚は単体で存在する訳ではなく、その時の自分の状態に微妙な影響を受ける。
でなければ、忘れるなどということが起きる筈がない。
大の大人が、自分が初めて寝た相手の顔や躯を鮮明に覚えているなどということが実際にはほとんどないように、忘れることによって次の相手に逢うことが可能となる。
冴は野鶏だった。生きるために職業として躯を売っていた。天安門の事件がなければ、今頃北京で中国画を描いていたのかも知れない。
私は氷の溶けたグラスにウィスキーを注ぎ、延々と嘗めていた。白い中国服を着た冴の姿を画面に映せないものかと思った。
〈望郷〉と打ち、それではコピーにならないと考えた。
〈家へ帰らないか〉けれども、その家というのは何処なのだろう。
机の脇に水の入ったグラスが置かれた。横を向くと葉子が立っていた。