四五 赤い月
■ その夜、私たちは浦東にある高層ビルの地下二階に集まった。
このビルは葉子の父がオーナーである。私もここの三十二階に事務所を借りていた。駐車場の一番奥を封鎖し、細い覗き窓がいくつも開いているシャッターを降ろした。
黒に近い紺色のジャガーEタイプが戻ってきている。ベルトを全て日本製のものに取り替え、焼けたプラグとオイル類を交換していた。粘度は五〇Wが入っている。
その時代の高性能車には現代の化学合成オイルは馴染まない。当時の車は、ピストンとシリンダーのクリアランスが思ったよりもあり、その隙間をオイルで埋める必要がある。圧縮比を保つためだ。
クローム・メッキされたワイヤースポークのホイルは優雅で美しいけれども、コーナーの度に歪む。鍛造のアルミに履き替えた。扁平率はそのままに本国製のP5を履いた。これ以上グリップするタイアだとサスペンションが保たない。
だが、今回Eタイプを使うつもりはない。目立ち過ぎるのだ。
真壁が一台日本車を用意した。FFの白い小型バンである。マニュアルであるが、空荷であれば小気味よくタック・インすることができる。半袖のワイシャツにネクタイ姿の真壁が乗っていると、外回りの営業車そっくりにみえた。
吉川の到着が遅かった。彼は、旧フランス租界地にある葉子の父の屋敷に出かけていた。
葉子の父の屋敷には灰色のシトロエンDS後期型があった。ドゴールが乗っていた車だが、運転には独特の癖がある。血管のように張り巡らされた細いパイプに植物性、後には鉱物性オイルが流れ、ステアリングからブレーキ、さらに車高を自由に変えられるハイドロニューマティック・サスペンションが備えられている。宇宙船のようなスタイルとともにすばらしい乗り心地を示したが、信頼性に問題があった。完全に整備できるところが上海にあるとも思えない。吉川がDSを借りてこなければ良いがと私は思った。