■「吉川君のことは知っているね」
「ええ」
「彼も、間接的には特務なのだよ」
葉子の父は言う。
「どういうことですか」
「わからんかね。先日日本の新聞に、高度成長盛りの頃、当時の保守政権の首班に米国中央情報局から資金が流れていたことが報じられていただろう。そうした場合でもCIAは直接金を渡す訳ではない。彼がその役をした訳ではないが、そのような任務を果たす者を合法工作員というのだ」
「合法ですか」
「それは昔の特務や中国情報部の言い方だが、様々な分野に協力者を作っておくことも秘密戦の基本なのだ」
「それで彼を逮捕から助けたと」
葉子の父は答えなかった。椅子の背に凭れ、目を細くして言った。
「君はぼんやりしているようだがなかなか鋭い。葉子が珍しくしおらしくしているのもわからんでもない。だがね、歴史というのは空白の部分があって、それを無闇に掘り起こすことは危険でもあり意味のないことなのだ」
私はそうは思わなかった。けれども、口に出すことは控えた。
おそらく、葉子の父はアメリカの中央情報局CIAの工作員だったのだろう。であるから、当時の公安警察に顔が効いたのだ。吉川が起訴されるのを助け、今の巨大商社に潜り込ませたのも意図あってのことだろう。
「それで、何時お辞めになったのですか」
「かれこれ十五年程前だ。すこし嫌気がさした。少年時代を過ごした上海でビールでも売ろうと思ったのさ」
よく無事に辞められたものだと思った。同時に日本政府の仕事もしていたのかも知れない。〈杉工作〉で不明になったという重慶政府の法幣も、一定の部分では生き延びる工作に使われたに違いない。