四二 ONCE I LOVED
 
 
 
 
■ 葉子の父が何故このような話をするのか不思議だった。
 かれこれ、二時間近くは経っているだろう。
 私は椅子から立ち上がり、断りを入れてから煙草を吸った。
 メイドがコーヒーを持ってきた。
「戦争が終わってからどこにおられたんですか」
 私は葉子の父親に尋ねた。
「特務にいた連中はほとんど戦犯だった。わたしも例外ではない。目先の利く者は内地に帰り、石井などのように細菌戦情報を渡すことで占領軍の追求を逃れた者も多かった」
「それで」
「撫順戦犯管理所に二年入れられた。その後米軍に渡され、向こうでそれ以後を過ごし日本に戻った」
 
 この説明はおかしいと私でもわかった。
 撫順というのは中国の戦犯管理所である。赤い星、共産中国になってから開設され、ソ連から多くの戦犯が移送されたと聞いたことがある。
 当時の政治状況を考えると、中国に抑留されている者がアメリカに渡されるということは、余程の政治的理由がなければ為されない筈である。
「何時のことです」
「朝鮮戦争が起きるすこし前のことだった」
 葉子の父は中国軍に捕まったりはしなかったのだろう。
 何らかの手段で中国を離れ、そこで米軍との交渉があった。台湾に渡ったのか、日本に潜伏していたのかも知れない。私は煙草を灰皿に消した。
 
「アメリカで特務に従事した訳ですね」
 葉子の父は答えなかった。私の顔をみず、首をほんの僅かに傾け、それは認めることを意味した。