■ 当時児玉機関は、今私が泊まっている上海大厦のふたつのフロアを借り切っていた。各種のパーティが催され、文士や新聞記者、得体の知れない壮士などが夜毎に集まっていたと言われている。大世界・ダスカとともに、上海を影で牛耳る象徴でもあった。
「同時に松機関が〈杉工作〉のために設置された。影佐と同じく大本営から岡田芳政少佐が配属された。汪兆銘の南京政府を擁護することを主たる目的としている」
「杉工作とは何ですか」
「簡単に言えば偽金つくりだ。このカメラと同じように陸軍登戸研究所、こんどは第三課だが、そこで作成された偽造法幣を使用する。物資の導入と経済の攪乱、蒋介石支援物資に対する妨害などを謀ろうとしたのだよ」
「偽金をつくったのですか」
「うむ」
葉子の父は詳細に説明を始めた。ファイルを開く。
印刷の中でも紙幣の印刷は最高の水準を要求される。
そのため、登戸研究所の研究班には、内閣印刷局と大手関連会社が全面的に協力することとなった。ドイツ製ザンメル印刷機が日本で始めて使用される。
日本で印刷された偽造法幣の主体は拾円券である。これらは中野学校の卒業生によって上海に送り込まれた。敗戦までに四○億元が作られ、現地で流通したものは二五億元だと言われている。
四五年までに重慶の国民政府が発行した法幣は五五○億円である。偽造法幣の占める割合は一%に満たず、経済攪乱という秘密戦の意味からは完全に失敗した作戦であった。
しかしながら、偽造法幣は阪田が中国全土に張り巡らせた商社網を通じ青幇に渡され流通する。青幇の首班は徐采丞であった。
この法幣は、松機関を通じて陸軍や海軍の物資購入資金として使われた。旧日本軍は偽金で物資を購入していたのだ。
「当時わたしは十代の少年だった。熱心な愛国少年ということだ。父の仕事を誇りに思い、敗戦間際には実際に手伝うようになっていた」
「なにをしたんですか」
「連絡と法幣の受け渡しだ。昭和二○年に入ると日本からの偽造法幣は上海に無事に着かなくなる。制空権もなく、輸送船は途中で撃沈される。捉えられ殺されることも多くなった」
「危険な仕事でしたね」
「うむ。そのため敗戦になるとわたしは捉えられることになる。父は既に南京で死亡していた。母については消息がわからない」