四一 杉工作
■ 私は冴のことを思い出していた。
冴の母親は満州に渡った開拓民を両親に持ち、終戦直前に置き去りにされた子であった。小さな村の農民に買われ、そこで育つ。
買われたと言っても、生き延びるためにジャガイモ一袋と交換されたというのが事実に近いのだろう。冴の母は、娘となり冴が生まれるまで自分が日本人であることを知らなかった。
「汪兆銘政権は日本軍の傀儡政権だった。わたしの父は梅華堂に本部を持つ梅機関に配属され、汪兆銘政権実現のため働いた。君は当時上海にいくつの特務機関があったのか知っているかね」
私は首を振った。
葉子の父は一枚の紙を取り出し、右手で簡単なチャートを書き始めた。押さえるもののない紙が動き、書きにくそうである。
肘から先が無くなった左手のことを、彼はこのようにして考えることになるのだろう。私は手を出さなかった。
「汪兆銘が親日政権を作ったのは三九年のことだ。この時梅機関が設立される。同時に阪田機関、松機関が作られた」
葉子の父の顔に赤味がさしている。
「梅機関は三九年六月、大本営陸軍謀略・宣伝部課長、影佐禎昭大佐によって作られた。影佐は日本軍の中国におけるありかたを内部改革する目的をもっていたとも言われるが、真意の程はわからない」
汪兆銘は三五年一月、国民党中央委の開会式で狙撃され重傷を追った。
対日妥協政策に対する批判によるものだとされている。
彼はそこで失脚したが、梅機関の援助によって国民政府、通称〈南京政府〉をつくることになった。
「同時に作られたのが阪田機関だ。ここは対中経済謀略の実行機関だった。秘密結社〈青幇〉との太いパイプを阪田誠盛は持っていた。この配下に海軍の萬和通商がある。児玉誉士夫が指揮をとった。さらにアヘン密売を専門とする里見機関がある。この他に誠達公司・達記公司など表向きは通常の会社を中国側に設立させ、秘密戦に従事させていた」
葉子の父はチャートに線を引きながら説明した。
萬和通商は別名〈児玉機関〉と呼ばれ、その首班は戦後右翼の大物として各種疑獄事件に名前を連ねている。