三九 登戸研究所
■ 私はブランデーの瓶を持って階段を続いた。
一番奥まったところが書斎になっているようだ。促され私は部屋に入った。
マホガニーの大きな机があった。葉子の父は背もたれの高い椅子に座り、私にも向き合った椅子を勧めた。
「このライターを知っているかね」
彼は引き出しの中からオイル式の古いライターを取り出した。
何処にでもある形である。蓋を開け、石を擦る。
火は点かない。僅かに金属の開閉する音が混じった。
「カメラだよ」
葉子の父は銀色のライターを私によこした。
ライターの金属に丸い穴が開いていて、そこは黒いレンズのようになっている。
「陸軍登戸研究所で開発され、特務機関で使われていたものだ。中に八ミリフィルムが入っている」
「登戸研究所ですか」
「そうだ。実用化されたものの中には風船爆弾や自動発火式の火炎瓶などがある」
「特務と言うと、スパイということですか」
「うむ、そのように一般には理解される。上海は戦争中、特務機関の活動拠点のひとつだった。今もそうだがね」
そう言うと、葉子の父は机の横の小さなボードを開け、小さなグラスをふたつ摘み出した。私から瓶を受け取りグラスに垂らす。一口を嘗める。
それから彼は机の鍵を開け、中から黒い革表紙のファイルを取り出した。机の上で開く。
葉子の父が出した古いファイルには何枚かの地図と写真、縮小コピーされた厚い書類の束があった。
「わたしの父は上海の梅機関というところに属していた」
葉子の祖父にあたるのだろう。私は黙って葉子の父親が話すのを聞いていた。