■「医者が煙草は駄目だというんだよ」
「痛みますか」
「ああ、MSコチンを朝晩服用している。痛みは和らぐよ」
 モルヒネ経口錠のことだ。激痛を十二時間押さえることができる。真壁が渡した資料の中に市販薬としての名前があった。
 葉子の父は紅茶を一口飲んでカップを置いた。
「これでは仕方ないな」
 後ろにある棚から酒を取り出すよう私に指示した。ブランデーの瓶を机の上に置く。葉子の父は自分のカップにすこし垂らし、私のカップにかなり注いだ。
「ところで、君は葉子のことをどう考えている」
「はあ」
「はあではなく。あれと結婚するつもりはないのかと言うことを聞いている」
「結婚ですか」
「そうだ、あれはわたしの一人娘だ。君も知っている通りわたしはここで貿易会社を経営している。葉子には跡をつがせたい」
 話が奇妙な方向に流れた。
「昨年、君には葉子が大変世話になった。君は撃たれ入院までしている。それは葉子を愛していたからじゃないのかね」
 私は黙っていた。口にして良いものかどうか考えていた。自分の気持ちをこのようなかたちで問われることについても迷いがあった。
 浦東にあるビル、さらにこの屋敷にしても、葉子の父の資産は十億ドルは下るまい。日本人である葉子の父が、このような資産を上海に保持していること自体が不思議でもある。
 
「結婚は考えていません」
 私は口にした。葉子の父の顔をみた。
「葉子さんのことは愛しているのかも知れません。それは今だからです。昨年の事件の時にはそんなことを考えている余裕はなかった」
 葉子の父は暫く黙っていた。怒るかと思ったがそうではなく、おかしなものをみるように私の顔をみた。
「なるほど、君はすこし変わっているな。目の前のチャンスを眺めて通るタイプらしい」
「そうでしょうか」
「いや、いいだろう。瓶を持って二階にきてくれ。みせたいものがある」
 そう言うと葉子の父はドアを開け、階段のある踊り場に歩いていった。