四 長崎
■ 昨夜、江菫は私の船室の狭い椅子にぐったり座り、それからカバーのかかったままのベットに横になった。
額には脂汗が滲んで寝苦しそうだった。
江菫はオレンジ色の短いスカートを履いていた。太い太股にストッキングがびっしりと纏いついている。暫くそれを眺め、私は船室の外の廊下で煙草を吸った。
いつかもこんなことがあった。
梅雨の切れ間の日曜の深夜、私はバス停で倒れた葉子を拾った。今にして思えば薄い恋だったのだろうか。事件に巻き込まれ、初めて人を殺すことになる。緊縛された葉子を後ろに乗せ、古い単車で真冬の横浜港に飛び込むハメになった。上海にゆくことになったのも、きっかけは葉子だ。
事件は片づいたようにも思えるが、落ち着いたという気分がしない。
葉子の父にも何度か会った。だが、互いに本当のことを話しているという確信は持てなかった。今は努めて仕事のことだけだ、という距離を胸の中で意識しあっているように思えた。
江菫がすこし唸って寝返りを打った。脚が開かれている。私はバスタオルをその尻にかけた。
この上海娘、上海小姐は何をしに日本にゆくのだろう。
彼女に連れはなく、出航の際デッキで話していたのはその場で知り合った女だったという。不安だったのだろう。
次第に空が薄くなってきて夜が明けた。長崎港についたのは午前九時近かった。五島列島の脇を通るとき、海の色が変わった。
この季節、長崎は雨が多い。台風にはまだ早いが、梅雨時の風も南から吹いてくる。
桟橋で江菫と別れた。
「じゃあ」
と、手を振ると彼女は日本式に頭を下げた。
私は荷物を持ち、通りに出ようとした。
昇り坂になっている船着き場から大通りに向かうとき、なんだかすこし眩暈がした。持っている鞄が重く、一度に汗がでた。
車輪のついたスーツケースを脇に置き、その上に腰掛けようとする。
今頃吐き気がしてきた。
私は、自分のプラスチックのスーツケースの上に胃の中のものを吐いた。