■ 聞き覚えのある声と言葉だ。上海語である。
「よお、どうしたんだ。こんな時間に」
「今ね、オオサカのホテルにいるの。コウベの知り合いはみつからなかった」
 江菫の声だ。そんなことだろう、と私は思った。
 もともと、神戸・三宮界隈の南京街には、中国人をはじめとする外国人が沢山住みついていた。裏通りは「ドロボー横町」などの名称がつき、怪しげな日本語を話す外国人が夜になると露店を開いていた。南京街は神戸のカスバと呼ばれ、小高い丘の上に立つと、波止場に停泊する香港からの貨物船が何時もみえていたのだという。
 経済成長とともに地下街ができ、「タウン」などと呼ばれる。波止場はポートピアと名前を変えた。路地が消え、街全体からいかがわしい部分が急速に消え失せる。その事情はどの港町も同じだ。
 
 いかがわしさのない国際都市なんてのは、パンツを二枚履いた若い女のようだ。清潔そうにみえるが奧が臭い。
「明後日ね、トウキョウにゆくわ。よかったら電話してもいいかしら」
「君のビザは短期か」
「え、そう」
 留守番電話に吹き込む方法を教え、私は電話を切った。
 江菫がくるのか。困りもしないが、それで良いという訳でもない。
 江菫は来日の目的をはっきり言わなかった。おそらく、短期滞在ビザで働くつもりでいるのだろう。
 短期ビザは、最長百八十日までの滞在を許可している。現在の日本には、常時二万五千人余の英国領香港籍を含む中国系の人々が短期滞在していると言われる。その全てが観光であるとも思えないが、この数字を多いとみるかは微妙なところだ。
 働くつもりなら吉川に聞いてみるか。
 考えが流れ始め、私は奥山がベットの上で渡したメモのことを思い出した。メモにある番号は、おそらく女だろうと思った。
 ようやく立ち上がった画面を消し、もう一台の電源も落とすと、私は事務所を出ることにした。明日、連絡をしてみるつもりになっている。