十 梅雨寒
■ 薄い風邪が躯に入り込み、なかなか抜けなかった。
翌々日、私はのろのろと自分の部屋を片づけ、下北沢の晃子のマンションに車をとりにいくことにした。あの夜、晃子は私だけを降ろし、吉川とともに坂を降りていったのだ。
ぽつぽつ雨の降る午後、学生ばかりが歩く街を抜け、私は駐車場に歩いた。近頃、空き地に時間制の駐車場ができている。車は晃子のマンションから五十メートル程離れたところにあった。
私は傘を持たなかった。頭がすこし濡れた。
フェンダーの裏に、磁石で張り付いたキー・ボックスがある筈だ。晃子にそこに鍵を入れておくよう言った覚えがある。
捜したが、四隅にはない。右手が泥で真っ黒になった。
これだから女ってのは、と煙草を取り出し呆れることにした。
一本を吸っていると雨が本格的になった。躯をかがめ、真剣に捜すことにした。リアのバンパーの下、マフラーが出ている鉄板の折り返しにキー・ボックスはあった。なんのつもりか、と一人で腹を立てていると、ボディと磁石の間に紙が挟んである。
「バチよ」
と、女文字で書いてあった。
なんのバチなのか心あたりはない。
しかし、そう言われるとそうなのかという気分も浮かんでくる。ファンを廻し、車の中で頭を乾かした。また風邪をひくんだ。
私は世田谷の細い道を、代々木上原の坂道にむかってのろのろ進んだ。
表参道の終点で信号を待っていると、通りに向かい並んでお茶を飲ませる店がある。若者やそうでもない者が脚を組み、信号待ちをしている車の列を眺めている。彼らは楽しいのだろうか、よくわからない。
私は自分の事務所に寄ることにした。同じ港区でも山手線の外側は雰囲気が全く異なる。事務所のあるマンションは古いアパートを取り壊して建てられたもので、ほとんどがワンルームである。築二年と聞いているが三分の一程が空いたままだった。
裏手の駐車場にサンクを駐め、私は事務所に入った。溜まった郵便を整理して過ごすことにした。