■ 長崎から百分ほどで羽田につく。
 エスカレーターを幾つか降り、モノレールで都心に戻ることにした。
 制服を脱いだパーサーが膝を曲げ、吊革につかまっている。遠くまでのフライトだったのだろう。塗った白粉は斑になり、残ったプライドだけでヒールを履いているようにみえた。
 
 途中、運河沿いに建っている高層ビルの中にある駅で私は降りた。ここから車を拾い、まずは事務所にゆくべきかをすこし考えた。
 昨年、私は五年間勤めていた小さな広告代理店を辞めた。きっかけは葉子と会い、事件に巻き込まれたことである。横浜港でグロックというプラスチック製の精密な拳銃で肩口を撃たれ、暫く警察病院に入院していた。
 上海にゆくすこし前、港の傍に小さな事務所を借りた。ワンルームでしかないが、一応コーヒーは飲めることになっている。
 折り畳みの簡易ベットも入れた。必要な機械、中古のコピーと二十一インチのナナオ、すこし古い十七インチを入れると机は一杯になった。
 バイトの事務員を雇う余裕などない。おそらく郵便受けはダイレクトメールで溢れていることだろう。
 すこし考え、一階にあるスタンドでコーヒーを飲んだ。時計を眺め、晃子に電話することにした。社にいるだろう。
 通信社の受付にしては愛想が良い。会議中だというが、粘って呼び出して貰った。その時は気付かなかったが、私は自分の国に戻ってホッとしていたのだ。
 暫くして晃子が電話に出る。
「よお、今帰ったんだ。飯でもくおうか」
 
「あなた、何寝ぼけたこと言ってんの」
「え」
「奥山さんが撃たれて重傷なのよ。彼の相棒は死んだわ」
「なんだって」
「今晩七時、関内にきて。車でくるのよ」
 電話が切れた