七 粉
■ 私は自分の部屋に戻ることにした。
一ヶ月閉め切った部屋は薄い黴の匂いがした。
台所に立ち、蛇口を捻って暫く水を出す。
浄水器に切り替え、お湯を沸かすことにした。冷蔵庫の上に置いたコーヒーの缶を開ける。鼻を近づけるとなんだかいけるようだ。
ぼんやりとお湯の沸くのを待っていた。
奥山の顔はよく覚えている。
危なげない運転をする男で、背はそれ程高くもないが、がっしりした腰つきをしていた。
彼は厚生省所属の麻薬取締捜査官だった。全国に五つあるというブロックの、関東甲信越を管轄する分室に所属していた。場所が何処なのかは知らない。
昨年、私は葉子とともに真冬の横浜港に飛び込んだ。
フィリピン共産党CPPの武装集団NPAが、武器調達資金獲得のため日本に覚醒剤を密輸していたのだ。ルートの元締めが北沢という男で、彼は冷酷なテロリストだった。葉子が拉致され、誘いに乗った私は本牧の突堤にでかけた。
神奈川県警と合同の捜査だったらしい。ありったけの車両が配置されたようだ。普段、第三京浜を縄張りとしている交通機動隊のGTRまでみかけた時は些か驚いた。GTRで追うつもりだったのだろうか。
松葉杖をつけるようになると、大桟橋近くの水上警察の四階で、私は何度か事情聴取を受けた。囮にしておきながら参考人ということらしい。奥山も同席した。
奥山は煙草を吸わなかった。煙草は麻薬と同じ人類の敵だと考えているようだった。その彼が撃たれたのだという。
私は北沢のことを思った。奴は夜の海を傷ついた鮫のように泳ぎ、逃げ切った。北沢は薄い唇をしていた。奥山の狙撃には北沢が絡んでいるに違いない。どんなかたちであれ、許すような男ではないのだ。
エアコンのスイッチを入れ、すこし窓を開けた。
溜まった郵便のほとんどを屑籠に入れ、コーヒーを飲みながらテープの巻き切った留守番電話を再生してみた。これといったものは入っていない。ぬるい風呂に入り、下着を取り替え、夕方近く私は部屋を出た。