緊縮小唄。
 
 
 
 
■ 咲いた花でも しぼまにゃならぬ ソジャナイカ
 ここが財布の ソオヨ ダンゼン あけた財布の締めどころ
(時世時節じゃ 手をとって
  ハ 緊縮しょや 緊縮しょ)(以下囃子同じ)
 
 他人の金なら よそ見て済もが ソジャナイカ
 借りた五十億は ソオヨ ダンゼン 借りた五十億は頭割り
 
(西条八十作詞:中山晋平作曲:藤本二三吉唄「緊縮小唄」ビクターレコード:昭和4年)
 
 
■「公私経済緊縮運動」というものが昭和の始めにあった。
 その時のPRソングのひとつである。西条八十など、当時最高のメンバーによる制作である。二三吉さんは江戸前の芸者。「祇園小唄」などで有名である。
 確か、祇園恋しや だらりの帯よ とかいうものだったと記憶している。
 当時のメディアと言えば、ラジオよりも蓄音機が普及していた。もちろんテレビなどはない。
 時は「金解禁前」、そのために緊縮財政を国民に訴えることが目的である。
 大量のビラ、講演会・映画制作などなど、国を挙げての国策運動の一環である。
 初の政権放送も宰相・浜口雄吉によって、レコードに吹き込まれている。
 関東大震災の後、その復興のために膨大な金がかかる。その融資のためには金本位制を採用しなければならない。第一次大戦の好況から一転して、巷には不景気風が吹き始めていた。